私は生まれも育ちも関西ですが、幼少の頃、豊臣秀吉のことを大人たちが「太閤はん」と呼んでいたのを覚えています。
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関西では秀吉への親しみが連綿として残っていたということでしょう。
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その記憶が残っているせいか、いまだに徳川家康はあまり好きになれません。
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関ケ原の戦いを書いた本を読んでいても、ついつい西軍の方を応援している自分がいます(負けると分かっていても阪神タイガーズを応援するようなものです)。
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戦国時代は、各武将の人間力がモロに時代を動かしていく、日本の歴史の中でも一番ダイナミックな時代です。
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今の時代でも、一代で会社を築いてきた創業者の中には、どう考えても「前世は戦国武将だったに違いない」と思える人たちがいます。
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織田信長は49歳くらいで亡くなっているのですが、もし生きて天下を取っていたなら、間違いなく中国大陸へ進出し「明」と戦っていたのではないかと思います。
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秀吉は弟の秀長を失ってからおかしくなりました。
秀長というのは地味ですが傑物でした。
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少し話がズレますが、平清盛も長男の重盛を亡くしてからおかしくなっていると思います。
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戦国武将には様々なツワモノがいて甲乙つけにくいのですが、逆に最低の武将を挙げろと言われれば小早川秀秋が真っ先に浮かびます。
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小早川秀秋は秀吉の甥っ子でありながら、家康に籠絡(ろうらく)され、関ケ原の戦いで西軍を裏切り、天下分け目の戦いの決着がついてしまいました。
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関ケ原の戦いの2年後に亡くなっているのですが、死因はアル中だったと言われています。
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西軍の総大将は毛利家だったわけですが、その一族の吉川広家(きっかわ・ひろいえ)が家康と通じていたために、毛利家は十分な戦いができないまま敗者となってしまいます。
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結果、中国地方120万石を収めていた大藩から、家康により萩周辺に押し込められてしまいました。
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しかし、それが明治維新の遠因にもなっているわけで、その辺が人智では及ばない「歴史の妙」なのであります。