距離感

上手な人間関係のコツは適度な「距離感」ではないかと思います。
夫婦間でもそうで、適度な距離感があるとケンカになりません。
子供でも親が自分の思いのままにさせようと思うと、身動き取れない距離感となってしまい、子供も親も苦しくなります。

会社などでは苦手な上司がいても、なかなか自分のペースで距離感を保ちにくく、そこがちょっとツライところです。
私自身が束縛されるのがイヤなので、当社のスタッフは結構自由にやっています。
ただ会社での自由は「自由に仕事をする」という意味であって「勝手気ままにサボる」という意味ではもちろんありません。

自由を与えた時に、キチンと自分を統制して良い仕事をするか、あるいは堕落するかは、その人の資質の部分であって「採用の失敗は教育では取り戻せない」わけです。
人の管理というのも大変な仕事であって、できればそんなことに貴重なエネルギーを使いたくありません。
従って中小企業の場合「少数精鋭」は極めて有効な方法の一つだと思います。

英語やドイツ語では、何か依頼する時に過去形を用いると丁寧な表現になります。
過去形というのは現在の状態と過去の状態の距離を言い表します。
つまり過去形の本質は「距離感」なのです。
なぜ過去形を使うと丁寧な表現になるかというと、自分と他人とに適度な距離感を導くからです。
その距離感が相手を敬うユトリをもたらすのです。

神道は秩序というのに敏感です。
神さまでも人でも位(くらい)の上下がハッキリしていて、その位をきちんと守ると秩序が生まれます。
神宮での正式参拝は正装を求められます。
神さまは自分よりも遥かに高い存在であって、お友達ではないのです。
それなりの服装や態度や姿勢は当然のことなのです。
神様と自分との距離感は、信仰においてとても大切な要因だと思うのです。