力みをなくしてリラックス

デグチ・メソッドをやり出してから、ますます過去のことに頓着(とんちゃく)しなくなりました。
過去のことをいくら考えても時間のムダなのです。
過去の失敗は「そうすれば失敗する」ということが分かっただけでも、大いにプラスなのです。
だからいつまでも失敗をマイナスのことだと考える必要はないのです。

過去の成功体験だって、早く忘れ去らないと、今後はむしろマイナス要因となります。
同じことを繰り返しても再び成功するとは限らないし、いつまでも過去の成功体験に固執していること自体が変なのです。
ましてや動きの速い今の時代に、過去の成功体験なんて忘れ去った方がグンと身軽になれるのです。

時間は過去に去っていくものだと思っていると、生半可な過ごし方をした時間がスゴク惜しいものに感じます。
真面目な人ほど「充実した時間にしなければならない」とか「もったいない時間の使い方をしてはならない」とか「人生一度きり」などという強迫観念があるものだから、ちょっとした時間のムダづかいが自分で許せなくなってしまうのです。

そんなに自分を追い込んでは苦しくなるだけで、何もいいことはありません。
故・藤本幸邦和尚は「人生に意義などない」と喝破されました。
まなじ「人生の意義」などと考えているから、自分の利益以外のことに考えが及ばず、立ち止まることができず、奉仕や「無償の愛」の意味が分からず、ほんのチョッピリの奉仕の実践すら出来ないのです。

時間は過去にドンドン過ぎ去っていくと思うから焦るのであって、未来からドンドン与えられるものなのだと思うと「ど〜ん」と余裕を持って構えていくことが出来ます。
神さまはヘナチョコ人間にだって、惜しみなく時間を与えて下さるのです。

かくなるうえは(感謝を持って)上機嫌で仕事をこなしていくのみです。
どんなことだって、仮に自分が寝たきりの状態と比べればルンルンではないですか。
最悪死ぬようなことだって、実は死ぬのは最悪ではないことを知ってしまえば、どうってことはないわけです。

なぜならあの世の方が本当の世界で、この世は仮の世界。
この世でマトモに生きているならば、間違いなくあの世でもマトモな世界に行けるのです。
神さまは決して悪いようにはなさらないのです。
ならば死ぬのを楽しみに、今世(こんぜ)を思いっきり頑張ろうではありませんか。