カラダと精神と霊的エネルギー

ある整体師が「腰痛で苦しんでいる人たちの職業で一番多いのは何だろう?」と調べていたところ、その答えは意外なことに「無職」だったそうです。
腰痛には「働きたくない」という潜在的な原因があるようなのです。
肉体だけではない、もっと根本的な要因が腰痛にはあると、その整体師は喝破しています。
「腰痛は体の叫びだ」とも述べています。

会社で嫌な上司がいたりすると体が病気になりたがるというのは、何となく理解できます。
私も以前、毎週例会があるRクラブに所属していたのですが、その時間が迫ってくると決まって体調が悪くなり、不登校の子供の気持ちがよく分かりました。
Rクラブに参加している意義がよく分からなくなり、体調にまで影響したというわけです。

暴飲暴食で体を痛めつけるというのは論外ですが、案外本人が気がつかないところで、体が病気を望んでいるといったことも少なくないのではないかと思うのです。
「病気になったのは、本人が望んでいたから」というのは、あながち“的外れ”な話ではないかもしれません。

人間の内臓にはそれぞれの意思があると言います。
たまには内臓とコミュニケーションを取るのも大事じゃないかと感じるのです。
むろん感謝も、です。

健康の本を手当たり次第に読んでいるのですが、なかなか面白いですね。
人によっては正反対のことを主張していて、普通に読んでいたら頭が混乱してしまいます。
たとえば「水は出来るだけ飲むように」という人もいれば「水は飲まない方がいい」という人もいます。
ひと言で言えば、前者は「水はカラダに潤(うるお)いをもたらす」ということだし、後者は「水はカラダに冷えをもたらす」ということなのです。
私自身は「水を飲まない」派です。

「肉は食べるべし」と説く人もいれば、「肉は出来るだけ食べない方がいい」という人もいます。
私はどちらかいうと「肉を食べない」派です(そんなに厳格ではありませんが)。
「食する」というのは、何かの命をいただくということでもありますが、できれば動物の命を奪いたくないわけです。

食するためならまだ仕方がないと思いますが、ハンティングのような遊びで、意味もなく動物の命を奪うことは許されないと思うのです。
その点、植物は「食」されることを悟っているというか、むしろ「食」されることを喜びとしている傾向があるような気がします(勝手な思い込みかもしれませんが)。
健康の本を読めば読むほど「食」の重要さを感じるし、もう一歩その奥の「食」が持つ霊的エネルギーにも関心を持たざるを得なくなります。