神宮に毎月参拝

もうだいぶ来年の予定が決まってきたのです。
今までと決定的に違うのが、毎月伊勢神宮にお参りに行くということ。
しかも日帰りではなく1泊で。
神宮会館という内宮の目の前にある宿泊所を予約していっています。
ここは1年先まで予約できるのですが、1年先でも予約がいっぱいで取れないことがあるのです。
そんな時は外宮の近くの新しくできたホテルを予約します(まだ行ったことがないのですが)。

そうでなくても忙しいのに、毎月2日間も使って神宮参りをすべきかどうかということなのですが、そこはもう「信仰」の分野で、理屈ではなくなってきます。
神道は教典も何もないので、神社へお参りに行った時は、その雰囲気を体感するしか方法がありません。
人にはそれぞれ役割があり、その役割から知らず知らずのうちに外れそうになっていても、神社へお参りに行くと軌道修正してもらえると読んだことがありますが、確かにそんな気はします。

私は32年間会社経営をしているのですが、中小零細企業の経営者の場合、ほぼ100%会社と自分とは一体です。
会社にとって良いことはそのままうれしいし、会社にとって具合の悪いことが起こると、それがそのままズシンとわが身に響いてきます。
そして「良いこと・悪いこと」は波のように周期的に来るのです。

何もなく平穏な状況が続くと、何となく具合の悪いことが起こる気がするのですが、その予感は当たってしまうのです。
例えば某ホテルチェーンが食品偽装問題でマスコミから叩かれ、社長まで責任を取って辞める事態になっているのですが、これなどその典型。
誰がこんなことが起きることを予想したでしょうか。

しかしながら神社巡りをしていると、こういった災難から守ってもらえているという実感があるのです。
私は神社では個人的なお願いはほとんどせず、感謝の気持ちだけを捧げてきます。
平穏な有難い日々を感謝する場所が、私にとっては神社というわけですが、その時一緒に災難の芽も摘み取ってもらえるようなのです。