式年遷宮「遷御の儀」その2

ひたすら待った後、参列者は再び集合し“いよいよ”ご本殿に向かうことになりました。
安倍首相の姿も見えました。
秋篠宮さまも来られていたようですが、その姿はお見かけできませんでした。
儀式が始まった頃は、まだほんのり明るさが残っていたのですが、だんだんと闇に包まれていきます。

薪(たきぎ)の明かりだけが頼りなので、どういう儀式が行われているかは、私の席からはよく分かりませんでした。
ちょうど斜め前に作家の曽野綾子さんが座っておられ、時折メモに何かを書いておられました。
たぶん原稿のネタなのでしょう。
その姿を見て、私もそのことをメモした次第です。

ほとんど何が行われているか分からない中、やるべきことは暗闇の中でジッと座っているだけ。
仕事をするでもなく、休憩するでもなく、ただただ座っているのみ。
何も分からないまま、儀式が進んでいくのを待っているだけなのです。

内宮の「遷御の儀」は、式年遷宮の中でも最高のクライマックス。
実のところ「魂が打ち震えるばかりの感動」を期待していないと言えばウソになります。
が、現実は「ひたすら待つ」のみ。
もっと言えば「アホになって、ひたすら待つ」でありました。

考えてみれば、映画やコンサートに来ているわけではなく、神事に参加しているわけです。
何でもかんでも自分が満たされることばかりを求めている方がおかしいわけです。
儀式の間、私ができることは「神様に自分の時間を捧げる」ということだけでした。
自分が大きな勘違いをしていたことを反省し、「ひたすら待つ」に耐えておりました。

昨年3月26日にあった上棟式にも参加させていただいたのですが、この時は寒くて寒くて、儀式の間、ただただ寒さに耐えておりました。
そんな寒い思いをしたのは、生まれて初めての体験でした。
私の人生で、これほどひたすら寒さに耐えた経験も、今回のように只々(ただただ)待つしかない状態に耐えた体験も一度もなかったことなのです。
神様の前では自分のワガママなど言う余地は全くありませんでした。
今回「ただ待つ」に耐えたことが、私にとっては最大の収穫だったのかもしれません。