身近な「異文化」

ふつうの日本人同士なのに、互いに理解しにくい「壁」のような課題がいくつかあります。
例えばタバコの問題。
これほど吸う人と吸わない人とが、くっきりと分裂する問題も少ないのではないかと思います。

私自身は完全なノン・スモーキング派ですし、家族も会社も友人も誰も吸いません。
まわりで一人もタバコを吸う人がいないので、ごくたまに会合などで、同じテーブルでタバコを吸う人がいるとビックリしてしまいます。
逆にタバコを吸う人の方は、家でも会社でも当たり前のように吸っているわけで、喫煙に驚く人がいることに驚くかもしれません。
これなど、もうほとんど「異文化」に近いことではないかと思うのです。

北米ではタバコを吸う人は人間扱いされませんが、アジア人やヨーロッパ人はタバコが好きな人が多いように思います。
先日、今ドイツで一番いいと言われるミュンヘン大学へ行ったのですが、タバコを吸う学生の姿をよく見かけ(もちろん屋外で)、何だか知的な雰囲気を壊されたよう感じがし、ちょっとガッカリしました。
女子学生でもタバコを吸う人が少なくありませんでした。
このガッカリした気持ちを、タバコを吸わない人は理解することができ、スモーカーは理解が出来ないのではないでしょうか。
これ即ち文化の差なのであります。
ちなみに結婚と言うのは、育ってきた家庭と家庭の文化のぶつかり合いでもあります。

もう一つ「ワンちゃんを家の中で飼ったことがある」と「ペットには全く興味がない」の間にも大きな心理的な隔たりがあります。
自宅で一緒に暮らしているワンちゃんは完全に家族の一員です。
しかも子供のような存在。
私も犬を飼ったことがなかった頃は、飼い主の気持ちが全然理解できませんでした。

ワンちゃんを亡くすことを「ペット・ロス」と言うのですが、実際に体験してみると相当こたえます。
愛犬との深い愛情の交換からは、何物にも代えがたい癒しが与えられ、その存在を失うことは本当につらいことだからです。
一方、犬を飼わない人には、なぜそんなに“こたえる”のかが分からないと思うのです(私もそうでした)。

このように「タバコ」や「ペット」には、年齢や職業や社会的地位にかかわらず、人によって大きな心理的断絶があるということに気がついたというわけです。