凡事感謝

カノンとの散歩は約1時間。
以前いっとき体調が悪かった時期があったのですが、散歩をしだしてから良くなりました。
「毎日1時間の運動を惜しむと、寝たきりの10年が待っている」と読んだことがあります。
カノンとの散歩は、運動とは言い難いほどの実にゆっくりしたペース(暑いとカノンがバテバテなので)。
従って時間にゆとりがないとイライラするので、極力家を早く出るように心がけています。
体験的に、日の出直後が一番「波動」がいいことが分かってきました。

カノンと一緒に朝日の中を歩くのが、どれほど幸せなことかを、これを書きながら再認識しています。
平凡なことを平凡に毎日やっていけることに感謝したいと思うのです。
まさに「凡事感謝」。
当たり前のことが、当たり前に出来るという幸せ。
その幸せを失ってから始めて気づくのでは遅いのです。

60歳でプロゴルファーに合格した人の本を、昨日読みました(『「ありがとう」のゴルフ・古市忠夫・ゴルフダイジェスト新書・819円』。
著者は街の写真屋さんが本業だったのですが、毎日夜中まで素振りの練習をするなどして、アマチュアの時にわずか2年でクラブチャンピオンに。
ちなみにアマチュアの時のハンディはゼロでした。
この人がアマチュアの時とプロになった時の気持ちの大きな違いが「感謝する心」。

阪神大震災で何もかも失った後(家族は無事でした)プロゴルファーを目指すのですが、終始一貫していたのが「感謝の心」。
プロテストの前は1カ月もそのコース付近に合宿して、練習するケースも多いのだそうですが、この人の場合はそのコースに着いたのがテストの前日。
なぜならお金がなかったから。
この人が言った次の言葉にとても共感しました。
「努力できることに感謝したい」。

努力と言うのは自我力ですが、自分の力でやっているつもりが、実は努力できる環境自体は与えられているわけです。
努力というような自分の力で出来ることですら、自分以外の力によって支えられているという事実。
だから天狗になってはいけないのです。
ちっとも偉くないのに、偉そうにしてはダメなのです。