心が追い付くまで待ってみる

平凡な一瞬一瞬の中に幸せがいっぱい詰まっているという真実。
いえウソではないのです。
その平凡さから「当たり前」のことが消え去った時、どれだけ自分は恵まれていたかが分かります。
阪神大震災では蛇口を捻(ひね)ると水が出るという「当たり前」のことが、どんなに有難いことなのかを痛感しました。
カノンの足腰が立たなくなった時、毎日平凡にカノンと散歩することが、どんなに幸せなことなのかが心底分かりました。

人生には波があります。
いいこともあれば、悪いこともある。
でもそれらに囚(とら)われていたら、心が翻弄(ほんろう)されてしまいます。
目指すは「幸不幸にとらわれない生き方」。
幸運がやってきた時も、喜びを爆発させないで心の中に貯めておく。
不運がやってきた時は、心に貯めた喜びを少しずつ戻していく。
そうすればヘコまずにすみます。
傍(はた)から見れば明らかに不幸や災難なのに、それに気もつかない鈍感さがあるとするなら、それは人生の達人への入場券。
「運・鈍・根」の「鈍」は鈍感さのことなのです。

急ぎすぎるとリズムを崩します。
それぞれの音楽には一定の速さがあり、速すぎては音楽になりません。
自分勝手な目標を設定し、勝手にリズムを壊してしまっていることがたまにあります。
むろんリズムが遅すぎても音楽にならないのですが。
それぞれの人生には、それぞれのペースがあるわけです。
自分に合ったマイペースが会得できたなら、それもまた人生の達人への入場券。

一つ一つの動作において、心が追い付くまで待ってみる(と言っても一瞬なのですが)ことを心がけています。
結果、一つ一つの動作がキチンと完結するようになりました。
ミスも少なくなります。
いくら急いでもミスをすれば余計に時間がかかってしまいます。
一つの動作が完了しない間に、次の動作に移ろうとするから“こんがらがって”しまうのです。
休憩の意味は、心が追い付くまで待つことだったのですね。
一つ一つの動作を完結させていくと、心がとても安定します。
少々の横波が来てもひっくり返ることはありません。
「幸不幸にとらわれない生き方」に一歩近づく方法でもあります。