「整理・整頓・清掃」の魔術

前にも書いたのですが、本気で掃除に取り組んでいると、掃除が進むにつれ、場に「氣」が満ちてくるのが分かるようになりました。
鍵山流掃除を始めて20年目に入り、いよいよ「20年畏(おそ)るべし」の世界に入ってきたのかもしれません(ちなみに「10年偉大なり。20年畏るべし。30年にして歴史なる」の言葉があります)。
自分で言うのも何ですが、掃除自体は相当徹底して行っています。
たぶん普通の会社の3倍の密度を持った掃除ではないかと思います。

掃除一つとっても、心境はさまざまに変化してきました。
「掃除すれば何て気持ちがいいのだろう」から始まり、しばらくすれば「どうしてほかの人は手伝わないのだ?」の魔境がやってきます。
それを超えると「地域を掃除によって犯罪から守ろう!」や「日本のために掃除をする」の心境になります。
その頃になると「掃除が災難や不運から身を守る」のが体感できるようにもなりました。
また少し前には「掃除によって、まわりの人たちに迷惑をかけてきた償いをしたい」という気持ちにもなりました。

今は、場に「氣」が次第に満ちてくるのが面白いという心境。
こうなると掃除は単なる労働作業ではけっしてなくなり、私にとっては「宗教儀式」のような様相を呈してきました。
朝、会社の掃除を出来るのがうれしくて、ワクワクしながら出社する人はそうたくさんいないはずです。
私はそんなラッキー人間の一人。
これで運が良くならないわけがないという気持ちにもなろうものです。

製造業などでは特に顕著ですが「整理・整頓・清掃」は基本中の基本。
「整理・整頓・清掃」の出来ていない工場からは良い製品が出てきようがないのです。
不思議なことに「整理・整頓・清掃」がキチンとした環境にいると、心まで整ってくるのです。
自分の心を取り出して磨くわけにはいかないのですが、掃除をすればそれが簡単に出来てしまえるのは、まこと不思議であります。