東京クルマ旅 その1

ほぼ半年ぶりに東京へ向かいました。

朝10時半に自宅をスタート。

途中「睡眠休憩」は(私にとっては珍しく)わずか1回だけ。

車勉も含め、順調にドライブできました。

ただし東京近くになると、いつものように渋滞が始まり、道路の状況は既にコロナ以前に戻っているように思います。

8時間半かかって夜の7時過ぎにホテルに到着。

ホテルには10軒ほどのレストランがあるのですが、そのうち2軒がまだ休業中になっていました。

もう再開はないかもしれません。

いつもだとホテルの部屋の冷蔵庫にビールなどが冷やしてあるのですが、今回はコロナのため空になっており、何も飲むものがなかったのでちょっとショック。

コンビニで何か買ってきて入れておこうと思います。

今回の東京行きは、私のファミリーとの食事がメインで、ほかには特に予定を入れていません。

食事以外はどこへも出かけず、ホテルの部屋でジックリと知的作業を楽しみたいと思っています。

ホテルのロビー。

いつものようにお花がきれいに飾られていました。

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鮨源(帝国ホテル東京)

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次の日、丸の内仲通りを散歩しました。

ミッドタウン日比谷

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ミッドタウン日比谷のオブジェ

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長い間工事中だったビルが完成していました。

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早朝の東京駅

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早朝、路上で路上でダンスの撮影を行っていました。

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わがパソコン人生

今ではパソコンなしに仕事ができない状態ですが、こんなにパソコンやITが世間に普及したのは、ここ20年ぐらいの話ではないかと思います。

段々と「パソコンがない時代」を知っている人が少なくなっていき、私もその絶滅危惧種の1人になっていくはずです。

仕事ではファックスを駆使してきたので、自分を「ファックス時代のビジネスマン」と規定できそうです。

パソコンのおかげでどこででも仕事ができるようになりました。

私が目指す人生イメージに「旅人投資家」というのがあるのですが、パソコン一つ持って、その気になれば簡単に実現できそうです。

若い人の中にはそのパソコンすら使わず、スマホだけですべての生活が完了する人もいると聞きます。

私はタブレットまでは使えるのですが、スマホになると途端に落ちこぼれになり、晩年うまく世の中に適合していけるのかどうか不安でもあります。

携帯電話が初めて世の中に出た時、不動産営業に携わっていたので、早々にそのドデカイ携帯電話を購入しました。

当時はそれを持っていること自体がステイタスでした。

それ以前はポケベルしかなかったので、携帯電話を持っているだけで会社とつながっている感じがし、安心だったことを覚えています。

コンピュータの重要性については、かなり初期の段階から注目していました。

「パソコン」か「パーコン」かの名前がまだ定まらなかった時代から機器を購入したりしていたのですが、なにせ私の能力の方が追いつきませんでした。

先日、商工会のパソコン教室に申し込み、行きだしたのですが、ほかのことをする時間がなくなることにすぐに気がつき、わずか1ヵ月で挫折と相成りました。

 

「ヨコ勉」快調

技術系や理数系の本は、たいていが横書きです。

そしてまた私は、そういった分野がかなり苦手なのです。

「ちょっと勉強しなければ」などという、やや義務感を帯びた気持ちで、そういった本を購入するのですが、やっぱり買っただけで読まないのです。

そんな本で書斎の本棚がいっぱいになってきました。

いわば「不良在庫」です。

不良在庫で本棚が埋まってしまうと、書斎そのものが息苦しくなってくるのです。

横書きの本に限らず「多分もう読まない」傾向の本に「ヨコ勉」を応用してみることにしました。

「ヨコ勉」には「わかっても、わからなくても」とにかくページをドンドン捲(めく)っていくという特徴があります。

そんな読み方でも、本1冊を読み終えると、何となくそのテーマの全体像が見えてきたりするのです。

例えば「不動産の税金」がテーマの場合、1冊読み終えると「なんだ、ややこしそうに思っていたけれど、これだけのことだったのか」と思ったりするわけです。

あとは本当に必要なところだけを詳しく掘り下げればいいだけの話であります。

不動産の税金など、実務的に関連しているのは、せいぜい2,3種類の税金であることがほとんどです。

例え1冊目でチンプンカンプンであっても、同じテーマの本を3冊も読めば何となくわかってくるし、5冊も読めばかなり理解できてくるはずであります。

ついでに100冊ほど読んでみれば、そのテーマについてはほとんど専門家レベルになるのではないかと思うのです。

ヨコ勉でバッサバッサと本をなで斬りにしていくのは快感でもあります。

*ある日の「ヨコ勉の成果」

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歴史をめぐる旅

私は67歳ですが、サラリーマンだと(役員になっている人は別として)もう完全引退の年齢でもあります。

ということは、もう何をしていても人から「とやかく」言われないということで、ならば、好きなことだけをして生きていこうと思うのです。

「好きなこと」や「得意なこと」に徹底し、静かに朽ちていくのも幸せ人生です。

あまりに集中しすぎて、オタクや変人になる可能性もありますが、「ま、それもいいんじゃないか」という心境です。

幸いにして健康。

クルマも少し大きめのSUVに買い替え、車内で横になって寝たり、着替えたりできるようになりました。

来年から火曜、水曜が(個人的に)連休になります。

ということで条件が揃い、神社と歴史の旅に頻繁に出かけようと思っています。

私も中小企業の経営者だったので、30代、40代、50代の頃は、頭の中はいつも会社と仕事のことでいっぱいでした。

西洋の諺で「悪魔は芸術が理解できない」というのがあるのですが、芸術を楽しむ余裕なんて1ミリもなかったように思います。

60歳になった年に出雲大社伊勢神宮式年遷宮があり、それぞれ60年ぶりと20年ぶりという大祭に“たまたま”参加し、そこから(いい方向に)人生が動きだしました。

神社は日本古代史と密接に関係があるので、日本古代史を勉強しだし、そのうちに日本史全般に興味が出てきました。

ついでに言うと、マンガの『キングダム』(秦が中国を軍事的に統一していく物語)を読み、中国史にもハマっています。

中国は政治的にだんだんと危険になってきたので(コロナが終焉しても)当面、中国に足を踏み入れることはできません。

が、いつの日か落ち着いたら(中国が新しい国になったあとで)、中国史の知識をいっぱい持って、中国大陸で歴史の旅をしたいものです。

 

 

神さまの得意技

高次の霊的エネルギー体のことを「神」と呼ぶのかもしれませんが、人間だって肉体をまとっているだけで、霊的エネルギー体の一種に違いありません。

霊的エネルギー体が「目に見えるものか」あるいは「見えないものか」の違いはありますが、神羅万象、すべて霊的エネルギー体で満ち溢れているように思います。

例えば台風はあれだけのパワーを持っているので、エネルギー体に違いないのですが、台風自体が意思を持っているような気もするのです。

もしそうなら台風だって、意思ある霊的エネルギー体と言っていいのではないかと思うのです。

普通の人(私も含む)は「龍」の存在を感じることができませんが、時たま、龍の形をした雲が空を流れて行くことがあり、スピリチュアルな人によると、あれはまさしく龍が移動している姿なのだそうです。

日本の神様にも「シナツヒコの命(みこと)」と「シナトベの命」という夫妻の「風の神様」がおられます。

元寇の時に大嵐を巻き起こし、元軍を撤退させた功績により、伊勢神宮では特別な場所にお社(やしろ)が祭られています。

これなどもシナツヒコとシナトベの指揮のもと、多数の龍神が暴れ回って神風を吹かしたののではないかと思うのです。

神々にはそれぞれ得意技がおありで、例えば商売にはウケノミタマの神(お稲荷さん)や豊受大神(トヨウケのおおみかみ)、健康だとスクナヒコの命(みこと)、また戦(いくさ)の神様だっておられ、鹿島神宮香取神宮のように軍神を祭っているところもあります。

私自身は神社に行っても自分のことは祈願せずに「神々のご繁栄」や「国家安泰」をお祈りするのですが、もし個人的な願い事があるならば、それにふさわしい神さまの所に参拝に行くのがいいように思います。

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贅沢が社会貢献

ある程度お金に余裕のある人たちには「お金を使う」という使命のようなものがあると思うのです。

人々がお金を使っていかないと、世の中にお金が回らず、経済が成り立ちません。

特に富裕層は人の何倍もお金を使うのが一種の義務のようなもので、お金を自分の所だけに停滞させるのはエゴイストと言ってもいいぐらいです。

お金は儲けるだけではダメで、使ってこそ「完成品」となるわけで、半製品のままストックしていては、いずれ不良在庫になってしまいます。

その「不良在庫」のせいで「争続」などが起きるとしたら目も当てられません。

お金の使い方にも「うまい・下手」や、「上品・下品」があります。

あの世にお金を持っていけないのであれば、世の中が良くなっていくようなお金の使い方を心掛けたいものです。

贅沢することが社会への貢献につながるという、こんないい話は滅多にあるものではありません。

私も次の投資のためにお金を貯めているのですが、自己投資とファミリー(孫を含む)のためのお金はケチらないようにしたいと思っています。

子育ては大変ですが、せいぜい15年間ほどの話で、その時期が過ぎると、もう2度と子供に手をかけたくてもかけることができないのです。

孫を含めたファミリーでの団らんや旅行や食事だって同じことで、あっという間に「交流適期」は過ぎてしまうと思うのです。

私は30代や40代の頃、仕事ばかりにかまけて家族を蔑(ないがし)ろにしてきました。

その悔いが未だに残っており、再び失敗してはいけないと強く思っているところです。

 

人間ガラパゴス

知人がフェイスブックで自分の店の銀行口座をハッキングされたとのこと。

やり口はよく分かりませんが、フェイスブックのような有名なSNSでも、そのような事故があることに驚かされます。

私はSNSの中では唯一フェイスブックだけで、あとのLINEやツイッターなどには全然手を付けていません。

それどころかスマホでの電話自体もほとんど使うことなく、ビジネスや社員との連絡はすべてメールのみで行っています。

あと10年もすれば、完全に「人間ガラパゴス」化するはずです。

プロのIT専門家でも「最近の技術について行けなくなった」と言うのを聞いたことがあるのですが、私など5年前の技術にもついて行けていないのが現状です。

半年ほど前に、インテックス大阪でのIT関連の展示会に「間違って」行ってしまったことがあるのですが、そこに展示されているすべてのことが理解できませんでした。

とにかく最初から最後まで一切合切わからず、何が分からないのかも分からない状態で帰ってきました。

当社のメインの事業はコインパーキングであり、その中でも私のメインの仕事は「コインパーキングの掃除」なので、地べた相手の、ITとは程遠いところで活動しております。

いまフェイスブックの友だちは2,200人ほどいるのですが、そのうち2,000人が(見ず知らずの)美人。

「せっせ、せっせ」と友だち申請をした結果なのです。

あとの100人が実際に会った人たちで、また残りの100人ほどは昔から知っている不動産屋のオッちゃんたちで構成されておるのであります。