贅沢が社会貢献

ある程度お金に余裕のある人たちには「お金を使う」という使命のようなものがあると思うのです。

人々がお金を使っていかないと、世の中にお金が回らず、経済が成り立ちません。

特に富裕層は人の何倍もお金を使うのが一種の義務のようなもので、お金を自分の所だけに停滞させるのはエゴイストと言ってもいいぐらいです。

お金は儲けるだけではダメで、使ってこそ「完成品」となるわけで、半製品のままストックしていては、いずれ不良在庫になってしまいます。

その「不良在庫」のせいで「争続」などが起きるとしたら目も当てられません。

お金の使い方にも「うまい・下手」や、「上品・下品」があります。

あの世にお金を持っていけないのであれば、世の中が良くなっていくようなお金の使い方を心掛けたいものです。

贅沢することが社会への貢献につながるという、こんないい話は滅多にあるものではありません。

私も次の投資のためにお金を貯めているのですが、自己投資とファミリー(孫を含む)のためのお金はケチらないようにしたいと思っています。

子育ては大変ですが、せいぜい15年間ほどの話で、その時期が過ぎると、もう2度と子供に手をかけたくてもかけることができないのです。

孫を含めたファミリーでの団らんや旅行や食事だって同じことで、あっという間に「交流適期」は過ぎてしまうと思うのです。

私は30代や40代の頃、仕事ばかりにかまけて家族を蔑(ないがし)ろにしてきました。

その悔いが未だに残っており、再び失敗してはいけないと強く思っているところです。