早起きして、1日も休まない。

田舎町の一介の工員だった人が、東京へ出て美容業界に入り、大成功しました。

入った美容室には「休まない」派と「普通に休む」派のスタッフがいて、決していがみ合ったりはしていないのですが、両者の間には越えられない溝があったそうです。

その人は何となく「休まない」派に入ってしまい、それ以降「1日も休まない」を貫いてきたそうです。

私もその本を読んで以来「1日も休まない」を実践しており、その威力に目を見張っています。

これに「早起き」も付け加え「早起きして1日も休まない」にしたならば、人生に確実に勝利するはずです。

「1日も休まない」といっても、私の場合、毎日会社に出勤しているわけではありません。

むしろ自宅の書斎にこもっている方が多いわけです。

もはや私には仕事も趣味も勉強も道楽も区別がつかなくなっていて、その時に自分が「やりたいこと」に集中しています。

例えば旅先でも普通に仕事をしています。

イヤな仕事やムリな仕事からは足を洗っており、好きな仕事だけが手元に残りました。

怠けるのは論外ですが、「ヘトヘトになるほど頑張る自分に酔っている」段階も早く卒業しないと、人生が消耗戦だけで終わってしまいます。

私もどちらか言うと頑張ってきた方なので、仕事のデキない人間は嫌いです。

若い女性ならば、仕事が少々デキなくてもカワイければ許されるところがありますが、男はそうはいきません。

仕事がデキる人が、デキない人間を嫌うのは理解できるのですが、「仕事ができない人間」も他の「仕事ができない人間」を見ると腹が立ち、より嫌っているのを知りました。

仕事ができないと、身内からもバカにされるのです。

頑張るお父さんの方がカッコいいわけです。

 

 

語学を楽しむ

昔、ドイツ語クラスに通っていたことがあり、その時のクラスメイトに、50歳代の女性のNさんがいました。

私よりあとからクラスに入ってきたので、最初は私の方がドイツ語ができたのです。

が、あっという間に抜かれてしまいました。

Nさんは大学を卒業したあと、高校の国語の先生をしており、結婚で退職したあとは、自宅で書道の先生をしていました。

夫の海外転勤についていき、そこで英語を本格的にマスター。

スイスにも滞在することがあり、そこでドイツ語と触れたようです。

その後もずっと英語とドイツ語を勉強してきたようで、私の尊敬する語学仲間でもあります。

Nさんから頂いた手紙。全部ドイツ語です。

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英語だけを勉強する場合は「仕事で英語を活用させたい」などの気持ちが強いかもしれませんが、多言語の学習となると、その実利性が希薄になってきます。

仮に5か国語をマスターするにしても、それらの言語がすべて仕事で役立つとは限りません。

ましてや私のように四捨五入すれば70歳の人間にとって、語学がお金になるとはとても考えられません。

ではなぜ語学を勉強するのか?

ひとことで言うと「楽しむ」ためです。

従って学ぶ過程を思う存分、楽しんでいこうと思うのです。

先日、多言語(10カ国語ぐらい)の修得者のセミナーをユーチューブで見ましたが、語学を勉強することを「とても、とても(really, really)」エンジョイしているとのことでした。

「語学の本を午前中に1冊読み終えてしまう」ことを目的とした「カフェ勉」も今のところ成功しています。

結果の損得を考えずに過程を楽しんでいくというのは、究極の贅沢なのかもしれません。

ゲコノミスト

48年間飲み続けてきたのに、昨年の年末に突如として飲まなくなったことは、このブログでも何度か書きました。

どうして断酒となってしまったのかは、自分でもよく分かりません。

これから暑い季節がやって来るので、ゴクンとビールを飲んでアッサリ断酒中断となるかもしれませんが、別にそれはそれで構わないと思っています。

ノンアルコールのデメリットとしては、やはりパーティーや飲み会の場で、ちょっとノリが悪くなったことです。

またアルコール以外のものを頼もうとすると、飲むものに困るということが少なくないのです(今のノンアルコール・ビールはマズイと思います)。

逆にメリットとしては、いろんな点で便利になったことが挙げられます。

「飲み会」でもクルマで行くことができるようになり、とても楽になりました。

自分のクルマがあると、ウダウダせずにサッと帰ることができるのです。

また時間が有効に使えるようになりました。

飲んだ後は「使い物にならない」時間になるのに、それがなくなったのです。

伊勢参拝の時の定宿は料理が美味しく、当然ながらたっぷりと各種アルコールを飲んでいました。

食事のあとすぐに寝ては胃に悪いので起きているのですが、テレビを見るぐらいしかすることがないのです。

それが今では、部屋で机に向かいデスクワークをすることができるようになりました。

毎月のこの差は、積み重なると実に大きいと感じています。

しかしながら、私はつい先日まで「飲んべえ」だったので、禁酒を人に勧める気は全くありません。

最近「ゲコノミスト」という言葉が出てきました。

下戸の人でも楽しめるような会食を提案しており、フェイスブックでも「ゲコノミストの会」ができ、このあいだ私も入会したところであります。

 

 

知人、変人、語学の達人

私の知人で、名古屋方面で税理士をやっているのですが、世界中に放浪の旅に出るのが好きな人がいます。

税理士という職業は忙しい時期が決まっており、それが過ぎると比較的時間にユトリができるようです。

そうすると事務所は奥さんに任せて、長期のバックパッカーの旅に出てしまうのです。

私はこの人とは仲がいいのですが、ゼッタイ変人だと思います。

だいたいが大阪外国語大学出身なのに税理士をしていることからして変わっています。

大阪外大は今は大阪大学に統合されていますが、司馬遼太郎も出た名門です。

ちなみに司馬遼太郎は、国立大学の中で唯一数学がないので大阪外大を受けたのだそうです。

先日、この知人からハガキをいただきました。

それによると、今は英語、中国語、韓国語、スペイン語、ロシア語、そしてなぜだかよくわかりませんがスワヒリ語を勉強中とのこと(やっぱり変人でしょ?)

25年前に出会った時から、中国語と韓国語を話せることは知っていました。

中国の奥地へ1人で出かけていくのだから中国語は必須だし、韓国語も単語帳を作って、暇を見つけては暗記している姿を見ています。

コロナの間は仕事を自粛し(いつも自粛しているくせに!)、スペイン語とロシア語に集中し、かなり上達した実感を得たそうです。

ある若い女性の旅行記を読んだことがあるのですが、世界のどこかの田舎町で、ナゾの日本人旅行者と出会った話が書いてありましたが、そのナゾの人物こそ、私のこの知人なのでありました。

この知人と再び会って、英語と中国語で話したいものです。

余談ながら日本語は、私は関西弁、知人は強い名古屋弁であります。

コロナ騒動に学んだこと

私が信頼する、ある医師がコロナについて書いていました。

「新型コロナウィルスで学んだことは、たとえ弱毒の、インフルエンザ以下の毒素を持ったウィルスであっても、マスメディアの騒ぎ方によってはパンデミックになってしまうということ」。

「日本のメディア特有のことかと思っていたら、今回は不思議なことに、世界中のメディアが騒いだ」。

「マスコミで利用されている『専門家たち』は「新型コロナウィルス」の専門家ではなく、ウィルスの恐怖を語るためのプロパガンダに利用されている人たちで、中には医師でもない人もいる」。

「彼らは人生で初めて浴びるスポットライトに酔っているように見える」。

「知事たちも同様で、メディアに取り上げられる絶好の機会を与えられ、マスクの下で鼻がピクピクしているようだ」。

「このまま知事のスタンドプレーに、いつまでも付き合わされて、経済が瀕死の状態になる方が怖い」。

「今回のウィルス騒ぎは、病原性云々のものではなくて、完全に人災」。

テレビをほとんど見ない私と、テレビの煽(あお)りに影響を受ける人たちとの、コロナに対する感じ方の亀裂が、日々大きくなっています。

強要された「自粛」で、お店や会社がどんどん苦境に陥っていくのを憂いています。

一方、今回さまざまなことを学ぶことができました。

「まさか」はいつ来るか分からず、会社の財務状態や自分のカラダをいつも健全にしておくべきだということ。

借入れが大きかったり、持病があったりしていては「まさか」が来ると持たないのです。

固定費が小さい会社や、シンプル経営や、シンプルライフは「まさか」に強いということ。

人々が生存に必要な会社は「自粛」対象にならないということ。

キャッシュをたっぷりと持っている会社は「まさか」に耐性があるだけでなく、例えば安くなった不動産を購入するなどのチャンスがあるということ。

「アフター・コロナ」ではなく「ウィズ・コロナ」で物事を考えておくこと、等々であります。

 

バブルとドツボ

不動産業界に入って45年ほどになりますが、いろんな局面を体験してきました。

1989年を転機として、それまではインフレ、その後はデフレです。

ちなみに、この1989年というのは経済的・政治的に極めて重要な年で、日本のバブルのピークでもあり、また天安門事件(6月4日)やベルリンの壁の崩壊(11月9日)も起こっています。

日本では昭和天皇手塚治虫美空ひばりなど、各界の最高位にいた人たちが亡くなっています。

平成もこの年から始まり、消費税も実質この年から施行になっています。

それ以降、あれだけ輝いていた日本経済だったのに「失われた20年」が続くことになります。

「『消費税を廃止すれば、かつての元気な日本経済が戻る』なんて単純なものではない」という意見は多いと思いますが、案外、真理は単純で、消費税廃止で元気な日本が戻って来ると、私など本気で思っています。

不動産業のバブルは大体15年に1度やって来るようです。

私が体験したのは3回。

昭和末期の大バブルと、リーマンショック前のバブル、そしてアベノミクス・バブルです。

それぞれの時点で、大儲けするのは意外に簡単なのですが、バブル崩壊から逃れるのが至難のワザであります。

バブルの渦中にいると「バブルは永久に続く」と錯覚するのです。

ちょっとマトモに考えれば、そんなことはないに決まっているのですが、世の中がみんな頭に血がのぼっている中で、1人冷静になろうとしても、自分だけがアホでオカシイような気がするのです(体験者談)。

バブルに乗ってしまうのは仕方がないとしても、最後のババをつかまないようにしなければなりません。

が、それができる人は1%ぐらいではないでしょうか。

ならば最初からキャピタルゲインは狙わず(つまりバブルには乗らず)、インカムゲインだけで行くと決めている方が「いい人生」になりそうな気がするのです。

いつもと違う伊勢参拝 その3(写真特集・内宮編)

今回はコロナの影響で正式参拝がなく、また開門時間も朝6時から午後3時までと短かったのです。

いつも利用しているホテルも営業を中止しており、神宮周辺の駐車場もクローズで、いろいろと勝手が違っていました。

自分では気がつかなかったのですが、正式参拝がある時は独特の緊張感があり、それが参拝自体をビシッと引き締めていたのですね。

正式参拝がないと、何か忘れ物をしたようで、参拝中、逆に落ち着きませんでした。

でも写真がいっぱい撮れてよかったです。

快晴!

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五十鈴川はいつも澄んでいます。

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五十鈴川で手を洗う場所です。

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天照大神への参拝のお取次ぎをお願いするお社。龍神さまとお聞きしました。

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元寇での功績で、別宮に昇格された風の神様。外宮でもお祭りされています。

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天照大神の和魂。ご正宮です。ここでの正式参拝はいつもスゴク緊張します。

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天照大神の荒魂をお祭りしています。早朝など1人きりで、たたずむことができる時があります。

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何か儀式(ご祈祷)があるので黒白の幕が張られています。黒白はお葬式ではなく、フォーマルで貴い色なのです。

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こんなところにも神さまがおられるとは、全く知りませんでした。 

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オオヤマツミの命(みこと)。コノハナサクヤ姫の父親です。

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コノハナサクヤ姫の子安神社。私は孫を授かりました。

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