お釈迦様は王子の身分で生まれ、何ひとつ不自由のない生活をしていました。
結婚もしており、ラーフラという息子もいます。
ところがあるとき、老人や病人や死人の姿を見て、人生に虚しさを感じました。
そこで城を出て、有名な覚者のもとを訪ね、さまざまな修行を重ねました。
だが苦しい修業に打ち込んでも、どうしても悟れません。
食も絶ち、肋骨が浮かび上がるほどやせ細った状態のとき、村の娘がミルクを持ってきてくれました。
それを飲むと体に力がみなぎり、そして悟りが訪れたのです(ちなみにその娘の名前が「スジャータ」)。
最初の悟りの内容は次のようなものでした。
「自分は人が羨むような生活をし、その後、死ぬほどの苦しみの修業をした。
が、どちらも真の生き方ではなく、悟りはその中庸にある」
極端で偏った生き方は間違っており、穏やかな中道の生き方こそが真理の道だったわけです。
若い頃に座禅や滝行のような厳しい修行をしなくても、「いい仕事をしていこう」とか「まわりの人に親切にしよう」といった心がけを貫いていくだけで、老年、勝手に悟りに近い境地に達することも分かってきました。
感謝に満ちた謙虚な姿勢、そして穏やかな言動…悟りへの道は案外簡単なのかもしれません。