「アフター・コロナ」ではなく「ウィズ・コロナ」で

コロナに対する感覚は、人によって実にさまざまで、社会的ポジションや年収や学歴も関係なく、政治的思考(嗜好)以上にバラバラです。

 

コロナを全然気にしない人もいるし、恐れすぎて普通の生活ができない人もいます。

 

田舎から都会に出てきた若い人が、田舎の両親から「しばらく帰ってこないで!」と言われたという例もいくつか知っています。

 

こういった点は田舎ほど排他的なのでしょう。

 

テレビではコロナを煽(あお)っていますが、それを見て鬱(ウツ)になり、心療内科を訪れる人も少なくないようです。

 

その時の心療内科の医師の処方箋は「テレビのスイッチを切ってください」なのだそうです。

 

コロナが流行り出した頃に短大に入学した人がいるのですが、結局何もしないまま卒業ということになりそうです。

 

友だちもできず、サークル(クラブ)活動もせずに過ごし、そうなると短大に行った意味がありません。

 

どこかでスコンとコロナが収まるという「アフターコロナ」ではなく、このままウダウダとコロナと共存していくという「ウィズ(with)コロナ」で考えていかないと、経営の方向を誤ると思います。

 

コロナに関しては、専門家も含め、誰も何も分かっていないと思うのです。

 

しかるに思い込みだけで勝手に変な方向に世の中が進んで行くのが怖いですね。

 

例えば飲食店で夜8時までの時短営業にしたり、アルコールを禁じたりした場合、それで何%コロナが減るのかを誰も答えられないまま行われていると思うのです。

 

かつて太平洋戦争時に、新聞が戦争を煽(あお)り、世論がイケイケ気分に沸騰して、冷静な意見が打ち消され、中国戦線の拡大やアメリカとの開戦にまで進んだ歴史と、ちょっと重なって見えてしまいます。