京都に護王神社という神社があります。
ご祭神は和気清麻呂(わけのきよまろ)。
奈良時代・称徳(女性)天皇の時代に、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)から皇室を守った人物です。
道鏡は僧ですが、称徳天皇の病気を治した功により天皇に近づき、次第に権勢をほしいままにし、宇佐神宮の偽神託をかかげ、自らが天皇になろうとしました。
それが本当に宇佐八幡のご意思かどうかを確かめるために、和気清麻呂が宇佐に派遣されることになったわけです。
道鏡は事前に「高い官位を与えるから、よきように図ってもらいたい」と和気清麻呂に言ったのですが、和気清麻呂が持ち帰ったご神託は「道鏡を天皇にしてはならない」というものでした。
怒った道鏡は和気清麻呂を大隅国(鹿児島県)に流し、しかも途中で殺そうと計りました。
が、300匹もの猪が現れ、和気清麻呂を守ったと言われています(この猪というのは野武士のことではないかと思います)。
戦前の拾円札には和気清麻呂と、そのシンボルである猪が描かれていました。
この拾円札というのは、かなりの高額紙幣だったようで、珍しく拾円札を胸に入れていると「今日は胸が(猪の硬い毛で)チクチクする」と言ったそうです。
和気清麻呂の姉の和気広虫も立派な方で、80数人の孤児たちを育て上げました。
道鏡は清麻呂を「きたなまろ」、姉の広虫を「せまむし」と呼ばせたそうで、こうなるとまるで子供のケンカです。
護王神社の境内は和気清麻呂の人柄と同じような、すがすがしい雰囲気が漂っていました。
和気清麻呂の像です。