コロナウィルスの意図するもの

コロナウィルスの影響で、参加する予定にしていた催しやパーティーのいくつかが中止になりました。

飲食や旅行や小売りに携(たずさ)わっている、お店や会社にとってはかなりキツイ状態がしばらく続きそうです。

昔、神戸でサーズが流行した時は、街を歩いている人自体が少なくなり、人どころかクルマも走らなくなり、コインパーキングの売上まで減少したことを思い出します。

「経済」というと、一見小難しそうに聞こえますが、要は人々の飲み食いなどの活動の合計を数値化したものでもあります。

逆に言えば、人々が外に出なくなると、GDPが低くなるのです。

インバウンド一つとっても、韓国人が来なくなったうえに(大口の)中国人観光客までいなくなり、そのつもりで資本投下していた会社にとっては大きな痛手です。

経営には「上り坂」と「下り坂」、そしてもう一つ「まさか」があり、コロナウィルスなんて誰も想定しているわけがなく、まさにその「まさか」であります。

目いっぱい背伸びをしている状態で、横波が来ると一挙にひっくり返ってしまいます。

今ごろ言っても遅いのですが、常にゆとりある経営を心掛けたいものです。

地震や大型台風や病気の流行には、それらを起こそうというエネルギーの元があるはずです。

またそのエネルギー体の意思のようなものもあるはずで、それが何を目指し、何を警告したがっているのかを知りたいものです。

もし今回コロナ騒ぎが起こらなければ、香港や台湾に対する中国の締め付けがかなり激しくなっていたはずです。

中国国内でも一党独裁を超えた「一人独裁」態勢が9割がた出来上がっていました。

体制的にもいろいろと問題があり、新型ウィルスを最初に警告した医師たちを拘束していたことも明らかになっています。

コロナウィルスに端を発したものが、今後どう経済的、政治的、社会的に影響していくのかを、目を外さずに見て行きたいと思っています。