「できて当然」の「ポジティブ錯覚」

私は中学・高校・大学と10年間柔道を続けました。
特に大学では体育会柔道部だったので、完全に部活中心の生活でした。
この時の経験ですが、例えば柔道初段の人間が五段の人と練習しても、相手がどこまで強いのかがサッパリ分からないのです。
自分が三段ぐらいになると、ようやく五段の相手の強さ加減が見えてきます。

初心者であっても強いチームで練習していると、あっという間に強くなります。
白帯で入門しても、三段や四段や五段がゾロゾロいるチームで揉(も)まれていると、いつの間にか実力がついてきます。
ところが弱いチームにいると、伸びる速度が非常に遅いのです。

ひょっとしたら会社でもそうで、優秀な社員が多い会社に所属していると、まわりに影響され、仕事の実力がドンドン伸びていくのかもしれません。
逆にデキの悪い社員が多い会社だと、こんなものかと油断してしまい、成長するものもしなくなります。

新入社員で入社し、まわりに尊敬できる先輩社員がいる人はラッキーです。
「自分もこんな人になりたい」とデキる先輩に憧れていると、電話の口調までソックリになってしまうのは、よく見聞きする現象でもあります。

優秀な人たちに囲まれていると、結構高い目標が「別にどうってことがない」レベルに感じられるのです。
本人の実力からすれば“とても”無理なはずなのに、本人はそれが分からず、気がついてみたらまわりの優秀な人たちと同じような実力を発揮していることがあります。
幸か不幸か、本人に最初からリミッター(限界を感じて、能力にフタをするもの)が備わってなかったのです。

「限界は頭の中だけにある」のであって、無限の可能性があるのに、人は勝手にそれにフタをしてしまっているのです。
ほかにパッと挙げる例が浮かばないので私の読書の例で言うならば、毎日1冊の本を読んでいた頃は、それが限界だと信じていて、1日に5冊も読めるなんてことは夢にも思いませんでした(1日1冊でもスゴイと思っていました)。
が、いったん「別に日に何冊読んでも構わないのだ」ということに気がつくと、読書能力が一挙に上昇しました。

今では1日に5冊本を読むなんて、気持ち的には「当たり前」の世界にいます。
月に200冊を読破しようと思ったら、1日に7〜8冊の本を読まないと追いつかないのですが、「何の問題もなく読めてしまえるはず」と「錯覚」しており、それがとても大事だと感じるのです。