新聞への「愛憎」

新聞を読まない人が相当増えているようです。
私の周辺でも、新聞を取っていない人がけっこういるのです。
統計のようなものは何もないのですが、10年前と比べると2〜3割くらいは減っているのではないでしょうか。
全国紙、地方紙を問わず、経営危機に瀕(ひん)するところがポツポツと出てくるのではないかと思います。

私も経済紙はいくつか購読しているのですが、一般紙は読む時間がムダな気がしてなりません。
一応、阪神タイガーズの戦績は新聞で確認することが多いのですが、それだって負けた記事はわざわざ読まなくてもいいわけです。

今まで新聞を読んで感動した経験は一度もありません(ただし雑誌「日経ビジネス」の記事を読んで感動したことはあります)。
新聞は何でも人のせいにしたり、嫉妬を煽ったり、世の中の悪いことばかりを「これでもか、これでもか」と書いたりするわけですから、そんなのを読んでいて魂が向上するはずがありません。

一般紙と比べると経済紙のほうはまだ信頼感があるのですが、前に日本経済新聞を読んでいたら「春秋」というコラムで論説者の政治的意見が書かれていて、私と真逆の考えだったことがあります。
わざわざお金を払ってまで論説者の意見を押し付けられたいとは全く思わず、この時ばかりはかなり不快感を感じました。

と、書きながら「日経」、「日経産業」、「日経流通」、「日経金融」、「日刊工業新聞」、「フィナンシャルタイムズ」、「ウォールストリートジャーナル」とたくさんの新聞を購読しており、それに費やす時間も半端でありません。
ちょっと旅行などに出ると、新聞が厚さ10cmほどにたまってしまうのは“しょっちゅう”です。

これらの新聞のほかにも「週刊住宅新聞」や「神社新報」を取っています。
週刊住宅新聞」には私のコラムが毎週載っているので「今週も面白いコラムが書けただろうか?」と、ちょっとプレッシャーを感じながら読み始めます。

神社新報」はプロの神主などが読む新聞です。
記事だって旧仮名遣いで書かれているのです。
神道の最新情報を得られていいのですが、そんな新聞を購読している不動産屋なんて他にいるでしょうか?