成功への過程を楽しもう

今の時代に「清貧」という思想は合わないと思うのです。
やっぱり「清富」を目指したいではないですか。
平等にこだわり過ぎ、下手すると「みんなが共に貧しくなればよい」といった間違った社会主義思想に囚(とら)われてはならないのです。

神道の特徴には「調和」や「秩序」も挙げられるのですが、もう一つの特徴は「繁栄」であり「発展」なのです。
神の本質が「繁栄・発展」であるならば、それを信仰し、その教えを実践する者もまた繁栄・発展しなければウソだと思うのです。

私自身は「コツコツとした努力」といったものに“とても”心惹(ひ)かれます。
私も自分を鼓舞するために大風呂敷をよく広げるのですが、コツコツとした努力を重ねていくならば、やがてその大風呂敷が大風呂敷で終わらずに、実現してしまうことがあるのです。
実現するまでは「大風呂敷」、実現してしまえば「大志」と呼ばれます。

目標を設定し実現することは“もちろん”大切ですが、目標達成までの過程を大事にしたいと思います。
また存分に、その過程を楽しんでいきたいとも思うのです。
例えば子育てだって、その過程自体が実に楽しいのであって、いきなり成人の子供を与えられても、ちっとも面白くないのです。

資産形成だってその過程が面白いのであって、最初から大富豪では「なんだかなぁ」という感じです。
一代で財を成し遂げた昔の起業家(有名なのですが、名前は忘れました)に、ある青年が「その財がうらやましい」旨のことを言った時、その起業家は「私の全財産と君の若さとを交換してもいい」と言ったとのことです。
その起業家が、もう一度20歳から人生を始めたとしても、大きな成功を勝ち取るに違いありません。

お金を嫌っていては、絶対にお金持ちにはなれません。
不思議なことですが、世の中には潜在意識のところで「成功すること」を怖れている人もいるのです。
だからもう少しで成功しそうになると、(無意識のうちに)わざと失敗したりするのです。
が、本人はそのことに気づいてはいません。
だから一番大事なのは「正しい考え方」。

素直に繁栄発展を喜ぶ気持ちと、それに向かってのコツコツとした努力があるならば、成功しないわけがないのです。
人生はかなり面白い。
思いっきり楽しみながら頑張ってみたいと思うのです。