神道的生き方

伊勢神宮へお参りに行き、どこがどうということは言えないのですが、何かが変化していることを感じます。
「守られている」感覚もあります。
何度も神宮へ行っている間に、そういったことが今後はもっとハッキリ分かってくるのかもしれません。

神道の基本は「礼」でもあるので、日本の神様にお参りする時は服装にも注意しなければなりません。
真夏に略礼服でお参りしたのですが、さすがに汗だくになりました。
内宮には2日間で3回お参りしたのですが、その都度着替えが必要でした。
クルマで行っていたおかげで、着替えだけはいっぱい持って行けたので助かりました。

伊勢神宮へは、本当は「月参り」を目指したいのですが、今のところ日程的、体力的にそこまでの自信がありません。
当面3ヵ月に1度ぐらいを目途に参拝させていただこうと考えています。
訪問した後はいつも「行ってよかった!」と思います。

神道の根底を流れる概念は「発展」と「調和」。
従って神道的生き方を目指す場合、自ら「発展」と「調和」を体現していかなければウソだと思うのです。
心身ともに豊かになり、自ずと穏やかな性格になっていってこその神道であると思うのです。
そうならなければ、生き方がどこか間違っているのです。

「下山の思想」は神道とは相反する考え方で、「坂の上の雲」を目指すことこそが神道の真骨頂なのです。
何かに向かってワクワクする頑張りこそが、神道のパワーでもあるのです。
従って「やる気の継続」は神道の教えにも合致した極めて重要なコンセプトでもあります。

「和をもって貴しとなす」は聖徳太子のお言葉で、聖徳太子ご自身は仏教を尊ばれたわけですが、極めて神道的な言葉でもあると思います。
神道は「礼」を尊ぶのですが、「礼」の本質は相手との距離感。
適切な距離感があってこそ、真の調和が生まれるのです。
イスラム教は「平等」を大事にしますが、神道は「秩序」即ち上下関係を重視します。
これなどその宗教が持つ特性で、どちらが正しいかなどと言う次元の問題ではないと思います。

当社も神棚を祭っておりますが、それが意味するところは「みんなで心を一つにして、発展と調和を実現しよう!」ということになります。
むろん神様のご加護と応援をいただけるわけですから、発展と調和はそう難しいことではないと思うのです。