「幸せ繁栄」へのコツを考える

「幸せ繁栄倶楽部」を設立したのですが、何人かの方に賛同をいただきました。
幸せになったり繁栄したりするのは、きっと何かコツがあるのではないかと思うのです。
ということは、そのコツさえ掴めば誰でも幸せになり、繁栄するということでもあります。
「幸せ繁栄」への気づきや発見を、その都度ブログに記録していこうと思うのです。

先日、自転車で3時間ほど宝塚市内を回るという仕事がありました(週に1回行っています)。
朝7時ごろに出たのですが、当然ながら汗びっしょり。
しかしながらペダルを漕ぎながら、何とも言えぬ幸福感に浸っていました。
はた目から見れば、かなりの苦行並びに重労働に見えるかもしれませんが「エンドルフィン」バキバキで本人はいたってご機嫌でありました。

炎天下に自転車で3時間も走り回る代わりに、クーラーの効いた部屋でテレビでも見ていればいいと言われても、私は間違いなく自転車の方を選びたいと思います。
なぜならその方が幸せだからです。
つまり幸せは外的な状況には、そんなに左右されないということなのです。

キリスト教ではアダムとイブが禁断の木の実を口にし、そのあと罰として「労働」しなければならなくなってしまいました。
一方わが国では、天照大神(あまてらすおおみかみ)ご自身が機(はた)を織って働いておられます。
神様自ら働くという仕事観と、罰として与えられる仕事観とでは、天地の差があると言わざるを得ません。
罰から解放される欧米流の「ハッピーリタイアメント」は、我が国においては老化への一里塚に過ぎないと思うのです。

人生を成功に導く大きな要因は「働く」であることは間違いがありません。
「働く」ことは経済的な安定をもたらしてくれるし、究極の自己実現でもあると思うのです。
そして同じ働くなら、ぜひとも楽しみたいものです。
仕事も勉強も趣味も、自分を変化させ、新しい世界へと導いてくれます。
それぞれが苦痛では続くわけがありません。
いかにそれらを楽しむかの工夫と努力こそが「幸せ繁栄」へのコツに違いないと思うのです。