年千冊の読書力 その6

1日2時間半の読書タイムを取るのは、普通の生活をしていると難しいかもしれません。
でも“くだらない”テレビを見ている暇があるなら、本を読んでいる方が時間の価値は圧倒的に上がります。
実際、テレビは知的生活にとって敵とは言わぬとも、少なくとも足手まといになっている感がします。
インターネット・サーフィンなども虚しさだけが残ることが多く、短い人生なのだから悔いのない時間の使い方をしたいものだと思うのです。

人には与えられた「分」もしくは「器」があり、その範囲内で生きていけば、勝手に幸せになるように出来ています。
つまり、天から許されていることと許されていないことがあり、私は海外旅行に行くことは許されているのですが、観劇やコンサートやゴルフや野球観戦のような時間がかかる娯楽は許されていないのです。
何故かと問われると困るのですが、実際そうなのです。

ついでに言うと、本代はいくら使ってもいいことになっていて、今は月に15万円ほど。
自分への投資であるし、会社にとっては研究開発費でもあります。
そのかわり飲み代はゼロだし、会社の交際費もやはりゼロです。
何かの会合で、たまに女性がいるお店の二次会に誘われることがありますが「宗教上の理由で行けないのです」と言えば、笑いながらあっさり許してもらえます。
夜のネオン街で“うだうだ”しているより、早朝の書斎で勉強している方がよっぽど楽しいではありませんか。
「魂の向上」や「生命の喜び」のことを考えると、どうしても「早朝書斎派」にならざるを得ないのです。

本を多読して困ることは、全然本を読まない人やスポーツ紙程度しか読まない人と、話があまり合わなくなることです。
自分が偉いと言うつもりは全くないのですが、本を読まない人と話をしていても面白くないことが多いのです。
本を読まないと「反射神経」と「条件反射」だけで生きているところがあるように思うのです。