知的生活人 その2

本は全部自費で購入します。
ゴルフも夜の遊びも全くしないので、おカネの面で躊躇(ちゅうちょ)なく本を購入していけるのは、とてもありがたいことです。
ある著者が気に入ったなら、その著者の本をインターネットですべて購入することにしています。
そういう時、インターネットはとても便利ですね。
週に2回は宅急便でドカンと本が送られてきます。

「できる」ビジネスマンでも、案外本を読んでいる人は少なく、まわりに同好の読書人がいないのを少し寂しく思っています。
「経営の勉強会」や「異業種交流会」や「不動産の勉強会」や「アパートオーナー勉強会」などは、探せば入会できる会があると思うのですが、「読書の会」はどうすればいいのか、今のところよく分かりません。

以前、本を相当読みこなしている人とお話をしたことがあるのですが、こちらが面白かった本の著者の名前をポンポン出すと、すべて反応が返ってきて、ひじょうに充実した会話が出来た経験があります。
「知的興奮」とは、まさにこのことを言うのだと思いました。

私の読書あるいは勉強は「資格を取るため」でもなく「有利な地位を得るため」でもなく、まさに自由に「心が求めるがまま」。
あえて目的を言うとするなら「『時代の方向』と『世界の動き』を知る読書」といったところでしょうか。
本を年間千冊読み続けていけば「見えてくるものがある」は、最近確信に変わりました。
まだ私は見えていないのですが、読み進めていけば間違いなく見えてくるように思うのです。

例えば昭和の最後のバブルやその崩壊でも、注意していれば、その兆候が必ずあったと思うのです。
バブル崩壊の時期が分かっていたなら、あれほど苦しまなくてすんだはずです。
本を読み、自分の中に熟成した哲学や智恵や知識が蓄積されていたならば、それらが正しい道へと導いてくれたと思うのです。
本を紐解けば、バブル自体も近現代史でいくつも人類は経験していることが分かります。
それを知っているかどうかで、打つ手に大きな差が出てくるのは間違いがありません。