損益分岐点の低い生活

松下政経塾で、塾生が松下幸之助に「人間の幸せって何でしょう?」と質問しました。
「きみ、寝るとこ、あるのか?食事はしたのか?寝るとこがあって、食べることが出来たら、それで十分幸せやないか」との答え。

本当にそうなのです。
寝るところがあり、食べることが出来る。
それ以上何を求めなければいけないのでしょうか。
過分に自分の幸せばかりを求めようとするから“ややこしい”のです。
求めてばかりいないで、与える方に回ると、ぐるりと世界が違ってきます。

自分の生活を華美にすることばかりにエネルギーを費やしていたら、仕事に振り向けるパワーや時間が減ってしまいます。
ここで言う仕事とは使命や天職のこと。
この世に生まれてきた意味でもあるし、天から与えられた役割のことでもあります。
自分のことばかりに感(かま)けて、やるべき仕事を疎(おろそ)かにしてはいけないのです。

会社でも損益分岐点が低いと、経営が随分楽です。
個人の生活でも同じ。
やっぱりお奨めはシンプルライフ
でもシンプルライフだから贅沢(ぜいたく)をしてはいけないというわけではないのです。
いい贅沢は文化を育て、むしろ世の中に必要。
自分が価値を認めたものに対しては、お金を使っていいと思うのです。
第一お金持ちがお金を使わなければ、お金が世の中に回らないではないですか。

シンプルライフでも“正しい”贅沢はO.K.
しかしその贅沢を「固定費」の方に入れてしまってはいけないのです。
いつでもスーッと低い損益分岐点に戻れる生き方。

シンプルライフとは、見栄や世間体に振り回される余計な生活をやめること。
要は「身の丈にあった生活」です。
派手な生活でも、逆に吝嗇(りんしょく)であることでもないのです。
自分の人生の本筋を外(はず)れたことに道草を食わないことも大切です。
シンプルライフは、精神性の高さを求める生き方でもあります。
宇宙の意思に沿った生き方。
この生き方は楽だし、相当充実した人生になりそうです。

「きみ、寝るとこ、あるんか?食べること出来るんか?」から出発するなら、満たされないという気持ちから解放されます。
常に「満たされるには、どうすればいいだろう?」では、本来の仕事が出来ないのです。
完全燃焼は真っ白なサラサラの灰しか残りません。
不満を持って仕事をしていたのでは、あちらこちらに真っ黒な排ガスを巻き散らすだけなのです。

仕事を金儲けだと思うからおかしくなる。
経済的な豊かさは、仕事の一側面。
仕事は自分を最高に輝かせる手段だし、仕事を通して宇宙と一体化することだって出来ると思うのです(相当高レベルですが)。
そんな仕事が95歳まで出来るかと思うとワクワクしないわけにはいかないのであります。