掃除を始めて17年目

平成3年8月に鍵山秀三郎先生から、最初のお葉書をいただきました。
その日から私の運命の扉が開いたわけですが、同時に私の掃除人生もスタートしました。
以来16年間黙々と掃除を続けてきました。

掃除の功徳はいろいろあると思うのですが、まずは周辺がきれいになる。
これが一番。
目に見える乱れと心の乱れは、見事に一致しています。
面白いことに目に見える状態を整えれば、心まで整ってしまいます。
茶道は形から入りますが、形が整えば気持ちまでスッキリ。

掃除を続けると、心が穏やかになり、謙虚になると言われています。
それは全くそのとおりなのですが、私の場合、最も顕著な効果は、根気がついたことです。
小さい頃から根気がなく、何事も中途半端なことしか出来なかった自分なのに、驚くほど根気強くなりました。

「トイレ掃除をすれば、思わぬお金が入ってくる」などという掃除の本がたまに出ています。
そういうことも無きにしも非(あら)ずなのですが、それを期待して掃除を始めても長続きしません。
ただ掃除はP/LよりもB/Sに効果大で、掃除を続けていると、いつの間にか会社の財務内容がよくなっていきます。
これは私だけが言っていることではなく、ほかの会社でもどうもそのようなのです。

掃除の心境はどんどん変化していきます。
今は「人の心の荒(すさ)みを取り除きたい」や「掃除によって日本を救いたい」という気持ちが本音の主流。
「鍵山先生との絆(きずな)である掃除を手放したくない。逆に掃除をしている間は、鍵山先生と繋(つな)がっている」という気持ちもあります。
今の私の受け持ち範囲は、トイレと会社の外まわりなのですが、2時間ではちょっと収まらなくなってきています。

自分の箒(ほうき)とチリ取りで、どんどん周りがきれいになっていくのは、魔法を見ているようです。
鍵山秀三郎先生が雑草を抜いていかれる姿を見ていた人いわく「まるで雑草が手に吸い込まれていくようだった」。
これは別の人の話ですが、「十数年間、駅周辺を掃除している人がいて、その人からオーラが出ているのを感じた」。

私もたぶん一生掃除を続けていくと思うのですが、同じやるなら掃除を通して、禅でいう高い境地を得たいものです。
掃除を始めて17年目の夏も過ぎようとしています。