ならば本気で臨(のぞ)もう

近い将来、プロの書き手(著述業)になりたいと思っています。
今までも原稿料や講演料を頂いたことはあるのですが、それで一家4人はとても養い切れない。
カノン1匹ぐらいなら、何とかなりそうですが、それでは情けない。

何かについて語る時、本を100冊読めば一家言の持ち主となれそうです。
1,000冊読めば、本が書けるかもしれません。
特定のことについて10,000冊読めば、職業として食べていけるかもしれません。

プロの著述業としてやっていくなら、最低年に1,000冊の本を読まないといけないと思います。
私は今まで年に720冊。
280冊足らなかったので、アマチュアの域を出なかったのでしょう。
努力や工夫もせずに、ベストセラーを夢見ていたなんて、甘いとしか言いようがありません。

年間1,000冊は月84冊。
2,3ヶ月ほど前に「1,000冊読もう!」と決めてからでも、月84冊を突破したことはありません。
やはり本気さが足らないのでしょう。
夢を実現する力と「やる気」が不足しているとしか言いようがありません。

夜の予定が入っていると、その日は本がまず読めません。
入っていなければ4冊、入っているとゼロ。
この差は大きいのです。
事業も「選択と集中」ですが、夜の会合も「選択と集中」。
自営業というより自由業に近いのだから、義理の為のお付き合いはもう止めようと思います。

年を取るにつれ、単に心理的だけではなく、物理的にも時間が早く過ぎているのだと思います。
証明のしようがないのですが「絶対時間」の長さが違うのです。
だから年齢がいくごとに、余計に“つまらない”時間の使い方をしてはいけないのです。

30歳代の頃、特にバブルの頃は1日に5つも6つも仕事をこなしていました。
あれだけ頑張って、会社を倒産の一歩手前まで持っていったのですから、今から思えば「何をしていたことやら」。

方向や哲学のところで間違っていたら、努力など意味なく吹っ飛んでしまうということです。
西暦は「キリスト以前Before Crist=B.C.」と「キリスト以降After Crist=A.D.」ですが、私の暦は「鍵山秀三郎先生以前」と「鍵山秀三郎以降」とに分かれます。
38歳を境に、人生と会社の方向が全く違ったものになったわけです。

今は1日に1つの仕事をこなすのが精一杯。
手帳に予定が何にもない日ほど、充実した日になるのはどういうことかと思います。
いま大切なことは「3年後のわが社と自分」のイメージをハッキリ描き、それに向けて毎日毎日歩んでいくこと。
マイペースではありますが、停滞は許されないのです。

自分がやりたいこと(やるべきこと)は「コインパーキングと読書」。
原稿の方は、圧倒的読書を欠かさなければ、勝手に書けていくと思います。
だからこの2つに集中。
極端な話、これ以外は何もしなくてもいいのかもしれません。
ただし、この2つのところでは圧倒的な仕事量を。
それで死ぬとき悔いがある?
じぇんじぇん、ありましぇ〜ん!