英語の本はギクシャク

本を読むにもリズムがあります。
ちょっとは英語の本も読もうと思って、ヘミングウェイの『老人と海』(The Old Man and The Sea)を、新幹線の中でトライしてみました。
なぜ『老人と海』かというと、①既に内容を知っていて理解しやすいのではないか、 ②本が薄いので読む気になる、 ③ヘミングウェイの文章は簡潔で読みやすそう、ということです。

ところがどっこい、読むのにかなり苦戦しました。
自分の英語力がこれほど大したことがないとはガッカリです。
東京から新神戸までの新幹線で、日本語の本なら3冊は読めます。
途中かならず睡魔に襲われるので、睡眠に時間を取られても3冊。

それが英語の本だと3分の1しか読めませんでした。
ということは日本語のスピードの9分の1(しかも内容はもう一つ分かっていない)。
あまりに読めないので、途中で日本語の本を少し読み出したのですが、いつものペースが取り戻せません。
英語の本でギクシャクしたリズムにしてしまったので、日本語でもギクシャクのまま。

6日間ほどの海外旅行には、いつも25冊ぐらいの日本語の本をスーツケースに入れていくのですが(もちろん全部読めるわけではありません)、もし英語の本だけなら2冊程度持っていくだけで十分ではないですか。
これなら重い重いカバンからは開放されそうですが…

本を年間1,000冊読もうと思った瞬間から、本当にその方向に向かい出しました。
「ビジネスマンが本ばかり読んでいてはいけない」という自分の心の中にあった制約を外しただけで、急に読書数が増えました。
ひょっとしたら自分たちの潜在意識、もしくは顕在意識の中で、勝手に制約を加えていることが、ほかにも随分あるのではないでしょうか?
人間の能力は無限なのに、それを阻(はば)もうとしているものがあるのかも。

小象の時に足に鎖をつけられ、小象の力ではそれが動かせない。
ところが大きくなって十分に動かせる力がついているのに、小象の時の意識が残り、動かせないものだと思い込んでしまっている。
だから鎖の範囲内でしか動けない。
そんな話を読んだことがありますが、自分たちの中にも心の鎖があるのではないかと思うのです。

本を今まで以上に読んでいくと、心の中で何かが変化し出しているのが分かります。
本を読むと、やはりモノゴトが分かってくるのです。
本で得られるものは「智恵」と「知識」と「情報」。
これらが頭と心の中で醸成され、いつか自分の言葉でアウトプット。
私の場合はそのアウトプットを、本という形でどんどん出版していくのが夢です。

たまにつまらない本とも出合うのですが、そんな本でも何か一つは得るものがあるはずです。
私の読書法はスピードと数。
すばらしい本と出会った時でもスピードは落とさずに、つまり精読ではないけれど、そのかわり繰り返し読む。
今まで繰り返し読んだ本の中で一番多いのは40回です。

サラリーマンなら、ゴルフとカラオケとマージャンの3つのうち2つは選択必須科目で、それをしなければ出世にもかかわります。
私はサラリーマンではないので、交際に時間をかけなければいけないこともありません。
どうせ妻からは変人だと思われている。
ならば誰が何と言おうと本を読もう!
ということで、コインパーキングと読書が目下(もっか)の最大関心事なのです。