金比羅宮への旅 その1

伊勢神宮参拝に続き、香川の金毘羅宮に妻と一緒に行きました。

 

明石大橋を超え、淡路島を縦断して、四国に入ります。

 

クルマも少なく、実に快適なドライブでした。

 

前回はビジネスホテルのようなところで1人で泊まったのですが、今回は温泉のあるホテル。

 

大浴場も、部屋についている露天風呂も大満足でした。

 

体のメンテナンスのためにも、たまには温泉に入ろうと思います。

 

大浴場に入ると、普段は見たことがない他人の裸を見ます(むろん男性のみです)。

 

50代と見える人たちは、概ね肥満体。

 

90キロを超えていると推測できる人たちもいて、他人事ながら「ダイエットしなくっちゃ」と思いました。

 

また60歳を超えた人たちは「尻欠ける」といって下半身の衰えが目につきます。

 

そういう姿を見ると、体をいい形で維持することは、やっぱり大切だと思いました。

 

金比羅さんのご祭神は大物主神(オオモノヌシのカミ)。

 

奈良の大神(おおみわ)神社と同じ神様です。

 

大物主神大国主命の荒魂(あらみたま)と言われています。

 

大神神社金比羅宮も山そのものがご神体と言った感じで、どちらもエネルギー溢れる神社です。

 

両方の神社とも、私の「毎年訪問する神社」リストの中に入っています。

琴平グランドホテル桜の抄







 

 

 

 

 

SNS

SNSにはいろんな種類があり、これを全部やっていると時間がいくらあっても足りません。

 

私が知っているだけでも「フェイスブック」、「リンケッドイン」、「X」、「LINE」、「インスタグラム」、「ユーチューブ」、「ティックトック」などがあります。

 

私も「SNS活用法」などという本を時々読むことがあるのですが、いつも読んだだけで終わっています。

 

知人の中にもインスタグラムで数千万円の売上を1人で上げている若い女性がおり、従来の会社や店舗や工場とは違う、まったく新しい形態のビジネスが出現しているのに驚かされます。

 

また別の知人は、英語を核としたコンサルタントで、中小企業の海外進出などの相談に乗っています。

 

「どのようにして顧客を獲得するのか?」との質問をしたところ「LinkedIn(リンクドゥイン)」を大いに活用しているとのことでした。

 

LinkedInはフェイスブックをビジネスに特化したようなSNSです。

 

そういったSNSで成功した人の中には、あっさりとシンガポールやドバイへ移住する人もおり、昭和の人間にはついていけない実行力と価値観です。

 

それぞれのSNSにも「流行り廃り(はやりすたり)」があるようで、フェイスブックから若い人たちがインスタグラムの方に流れていき、中高年だけが残ったと聞いたことがあります。

 

私はティックトックを語学の勉強に使っているのですが「かなり有効」との印象を持っています。

日帰りクルマ旅

仕事の出張でも、神社めぐりでも、クルマで3時間以内の所は「日帰り」、それ以上の場所だと「宿泊」と決めました。

 

従って毎月行く伊勢神宮は、今後は日帰り参拝となります。

 

私の場合、宿泊だと(勉強道具などを詰めた)大きなスーツケースを2つ持って行くので、見るからに大層なのです。

 

荷造りや荷ほどきに3,4時間ぐらい使っているのではないかと思います。

 

ならば、その時間で目的地に十分着けるではないかというのが、そもそもの発想です。

 

宿泊すると2日とも語学のオンラインレッスンを(時間的および体力的に)受けることができませんが、日帰りだと1日が浮いてきて、勉強することができるわけです。

 

今度、名古屋で夕方に会合があるのですが、今までなら新幹線で行き、1泊して帰ってくるというパターンでした。

 

が、次はクルマで日帰りする予定です。

 

「体調は過去最高」とブログでもよく書くのですが、どうやら体力の面でも強くなっているようなのです。

 

眠くなればクルマの中で寝ればいいわけで、まさに移動宿泊所であります。

 

新幹線や飛行機ではそういうわけにはいかず、ひじょうに疲れます。

 

4年ほど前に仙台へ飛行機で行ったとき、疲労困憊し「仙台なんて飛行機で来るものじゃない」と心底思いました。

 

それ以降、仙台へはクルマで2日かけて行き、2日かけて帰っている次第です(御殿場あたりで1泊しています)。

 

「ダブルインカム」

不動産投資や株式投資によって、ある程度の不労所得が見込めるようになるとFIRE(早期引退)を検討する人が出てきます。

 

FIREが会社の退職を意味するのなら、まだ理解できるのですが、仕事を放棄するという意味なら、私はあまり同意できません。

 

働かない父親の背を見て、子どもはどう思うのかも疑問です。

 

私自身は自分の小さな会社を核にして、生涯働こうと思っています。

 

働かないと、多分1カ月ほどで廃人になると予想できるからです。

 

「小さな会社」などと言わず、自分1人で働いていけばいいではないかということですが、長い間、仕事の補助をしてくれる人(秘書的な存在)がまわりにおり、ちょっとしたことでも自分1人では覚束(おぼつか)ない状態なってしまっています。

 

やっぱり「社長」でないと、人生の後半戦も生きにくいのです。

 

私の若い頃にはなかったITが、急速に世の中に普及し、しかもどんどん進化していき、まわりの若い人に聞かないと、ついていけなくなっています。

 

私はパソコンまでは何とかなるのですが、スマホになると“ほぼ”お手上げです(なぜかタブレットは多少使えるのですが)。

 

経済的な余裕や、あるいは心の余裕のためにも、不労所得はゼッタイ必要ですが、「自分も働く、不動産にも働いてもらう」の「ダブルインカム」が一番いいのではないかと思うのです。

 

また私の場合、「働く」の中に肉体労働が結構含まれており、自分の手でコインパーキングを掃除して回っている間は、当社は大丈夫かなと思っております。

やりたいことは勉強

「本当にやりたいことは勉強だった!」と最近になって分かりました。

 

大学を卒業して50年も経って、今頃このことに気がついたという次第です。

 

普通なら「遅すぎるやろ!」というツッコミが入ってもおかしくないのですが、その分、長生きして取り返そうと思っています。

 

「あれだけ仕事ばかりやってきたのは、いったい何だったのだろう!」という気持ちもあります。

 

会社を倒産させなかっただけ、まだマシで、これで倒産でもしていたものなら、家族を犠牲にしてまで働いた「自分の存在理由」さえなくなってしまいそうです。

 

会社で「不動産」や「経営」や「会計」や「税務」や「投資」や「生成AI」の勉強もやっているのですが、家で「歴史」や「地理」や「国際情勢」や「神道」や「自己啓発」や「健康」などに関する読書にも励んでいます。

 

語学にもハマっており、仏語や独語が面白くてたまりません。

 

こんなに面白いものを放っておいて、長いあいだ下手な商売に時間を消費してきたのが、ちょっと悔しい気もします。

 

読書のスピードも最近もう一段上がってきたようで、月200冊を読破してきたのですが、これを250冊にしてもいけそうな気がしてきました。

 

月250冊だと年間3,000冊になります。

 

年3,000冊で読書家としては一流だという意識が私にはずっとあり、そういう意味では自分は一流になりきっていないという忸怩たる気持ちがどこかにあったのではないかと、いま気がつきました。

 

今のところ日本語の本ばかり読んでいるのですが、できるだけ早い時期に外国語の本にもチャレンジしようと思っています。

 

そうすると、また新しい世界が見えてくるはずです。

「老い」の勉強

「老い」というのは必ず来るもので、逆に「老い」を知らずして早世するほうが具合が悪いわけです。

 

老いはすべての人にとって初めて経験することで、老いを勉強することは十分に価値のあることだと思っています。

 

「カッコよく老いる」というのは、私にとって一種の理想でもあります。

 

上場企業の名経営者の中にも、実にカッコいい「老」経営者がいます。

 

その人の功績で会社が大きくなり、優良企業になったことを誰もが認めているがこそ、いつまでも経営を任されているのでしょう。

 

「老・名経営者」の会社の株を、2,3銘柄持っているのですが、この人たちがいる限り安心だという気がしています。

 

しかしながら、この人たちだって生涯経営者を続けるわけにはいかず、その点、当社のような零細企業は、いつまでやっていても「老害」と呼ばれる心配はありません。

 

私が尊敬する地元の上場企業の社長は、3代目への引継ぎをなして引退されてから、すぐに亡くなられました。

 

社長という激務から、即「引退」だと、あまりにその格差が大きすぎ、自分も家族も戸惑ってしまいます。

 

完全引退ではなく、何かその中間あたりの仕事を見つけておきたいものです。

 

ボランティアではなく、収入が見込める仕事の方が、やっぱりやりがいがあると思うのです。

 

仕事を通じて社会に貢献し、収入も得られる晩年でありたいものです。

 

小さな本体

当社のビジネスモデルは極めてシンプルで「お金を貯めて収益物件を購入し(その賃料などの)インカムゲインを貯めて、また新しい収益物件を購入する」というものです。

 

個人と会社とが(いい意味でも悪い意味でも)ほとんど一体化しているので、個人でお金がかかりすぎる趣味などを持っていては、なかなかお金が貯まりません。

 

したがって個人生活も、ある程度の節制が必要です。

 

交際範囲もあまりに手を広げすぎると、時間もお金も体力も消耗してしまいます。

 

私も若い頃は20ほどの会に入って、人脈の拡大に奮闘していたことがありますが、そんな人脈はバブルの崩壊とともに、あっという間に雲散霧消しました。

 

いろんな会の会長などになると、自分が偉くなったような錯覚を起こすリスクもあります(経験済み)。

 

今は少数の良質な友人を持ち、足らずは本を友とし、極めてレベルの高い知的生活を送ることができています。

 

個人生活だけでなく、会社の固定費も低く抑えることが大事ですね。

 

当社の基本方針には「小さな本体」というのが入っており、「小さな本体」だと「まさか」にも生き延びやすいのです。

 

例えば社員数が多いと、バブル崩壊リーマンショックやコロナが来たとき、あっという間に大ピンチに遭遇してしまいます。

 

先日からいくつかの収益物件を購入しました。

 

しばらくはじっとして、お金が貯まるのを待つ時期に入りました(しばらく冬眠です)。