食を正す

口が欲している食べ物や飲み物が、必ずしも体にいいとは限りません。

 

また、まだまだ食べたいと口が欲していても、おのずから適切な量というのがあるはずです。

 

若いころは食欲に勝てるわけがなく、またそれが自然だと思います。

 

ところが若いころと同じような食欲を中年にまで引っ張ってしまうと、厄年のころに体調を大きく損ねるという現象を引き起こします。

 

太りすぎの人がどこかの時点で病気で入院し、以降スマートな体形になったという例を(自分も含めて)幾人も知っています。

 

肥満体になった体を適当な病気にして、元の健康体形に戻す「自然の摂理」というのがあるのかもしれないと思うぐらいです。

 

コロナ病棟へ行った人が「ここは相撲部屋か?」と思うぐらいに肥満体の人が多かったとの感想を述べていました。

 

江戸時代の観相家の水野南北が「少食が運命を好転させる」との法則を(彼自身の体験も含めて)発見したのですが、少なくとも体をスマートな体形に維持していたならば、もうそれだけでいくつかの難儀からは逃れられるように思うのです。

 

ウクライナ侵攻が起こってから、久しぶりにプーチン大統領の顔をテレビで見たのですが「ちょっと太って老けたな」という印象がありました。

 

おなかもポッコリ出ていました。

 

今まで切れ味鋭かったプーチン大統領ですが、このへんに失敗(もしくは大失敗)の原因があるに違いないと即座に理解することができました。

 

語学の喜び

大学で英語を教えている知人と話していて、耳新しいことを聞きました。

 

語学を学ぶ学生数が、世界的に減っているという傾向があるそうです。

 

理由はAIの発達です。

 

私も仏語や独語の新聞記事を読むとき、意味が“あやふや”だったり、どうしても内容が分からなかったりするときは「翻訳機能」を使ってAIに訳してもらうことがあります。

 

今のところは、かなりゴツゴツした訳になることが多く、まだまだ洗練された日本語としては出てきません。

 

が、やがて名翻訳家が訳したような文章になっていくはずです。

 

文章だけでなく、会話であっても、AIを使った同時通訳ができる時代は、もうそこまで来ていると思うのです。

 

では「語学を勉強する意味はどこにあるのか?」ということになるのですが、一つは手軽さ。

 

いちいちAIや道具を使わずとも、自分でサッと理解できるのは、やっぱり便利です。

 

もう一つの学習意義は「語学の勉強自体が面白い」ということに尽きるのではないかと思うのです。

 

受験勉強で英語を勉強するのは苦痛ですが、自分の意志で語学に打ち込んでいくのは、実に楽しいのです。

 

仮にそれが趣味だとしたら、相当レベルの高い趣味になるのではないかとかと思います。

 

私は63歳の時にフランス語を知識ゼロから始めたのですが「画期的語学学習法」のおかげで、今では新聞が読めるようになってきました。

 

生涯、語学の勉強を続けていくならば、ボケ防止にはかなり有効なのではないかと感じています。

 

豊岡(兵庫県)の大学

兵庫県豊岡市の人口は7.7万人ほどですが、ずっと減り続けています。

 

若い人たちが進学や就職でいったん街を出ると、もう戻ってこないという、地方独特の問題の例外ではありません。

 

昨年も百数十名の高校卒業者がいる中で、卒業後も豊岡に残ったのはたったの4人だけとのことです。

 

そんな中で「芸術文化観光専門職大学」という新しい大学が昨年オープンしました。

 

そこで英語を教える知人に、大学を案内してもらいました。

 

1学年80名で、最初の年は全寮制とのこと。

 

今は2学年の160名が学んでいます。

こじんまりとしていますが、きれいな大学でした。

正面玄関の前のこの空間で式典や演劇ができるようになっています。

図書館に向かう階段です。

上からも写真を撮ってみました。

知人の研究個室での本棚をパチリ。

学内にはこういったスタジオがいくつか設置されており、学生が設備や道具を使って実習しています。

 

むろん、この中で演劇も行われます。

ここは「大道具製作室」ですが、ほかに「小道具制作室」や「たたき場」など、本格的な実習室が設けられていました。

豊岡(兵庫県)へのドライブ 

兵庫県豊岡市に新しくできた大学で、知人が英語を教えています。

 

久しぶりにランチしようということになり、宝塚から豊岡に向かいました。

 

私は普段は昼食を抜いているのですが、お昼にごちそうを食べるときは1日1食になります。

 

ナビだとクルマで2時間ほどですが、休憩の多い私の運転だと2時間半から3時間ぐらいかかるのではないかと、少し早めに家を出ました。

 

私の自宅だと”どちらか言うと”太平洋が近いのですが、豊岡は日本海が近くなります。

 

同じ兵庫県でもずいぶん様相が違ってきます。

 

ナビ通りに行くと、途中「但馬空港」が出てきました。

 

山の中の空港という印象です(むろんまわりには何もありません)。

 

今は1日2便ほどのようですが、中国のどこかの都市と直行便をつなぎ、インバウンドを取り込むことができれば繁盛すると思うのですが…。

のどかな空港でした。

なんとなくホッとする風景です。

豊岡カバンという特産品が空港で売っていました。

少し走ると田園風景。

 

 

 

 

 

 

 








 

 

今後の方向

今の時代はITなしでは、仕事や生活ができない状態にまでなってきました。

 

生まれた時からITが当然のようにあるという人たちが、段々と人口の大半を占めるようになってきています。

 

私など人生の前半3分の2は、ITなど影も形もない時代でした。

 

したがって「IT音痴」であるのはムベなるかなといったところです。

 

パソコンまでは何とか使えるのですが、スマホは今のところ私にとっては無用の長物です。

 

あまりにITに依存するのはちょっと危険で、もっと「原始的」な生活をしてもいいのではないかと最近は思っています。

 

いくら勉強しても先端のIT技術には追い付かず、ならばITの「落ちこぼれ」は落ちこぼれなりに別の道を究めていこうと居直っているところです。

 

「本を読む」に特化した人生も、そう悪くはないはずです。

 

今年の4月から始めた「画期的語学学習法」だって、当面の目標は「仏語、独語、英語の新聞を読む」なのですが、その先「各言語の本を自由自在に読書する」になるのは、そんなに難しいことではないと感じています。

 

そうすると「やるべきこと」の「多読」と「語学」が一つの方向に統合されてしまいます。

 

よりシンプルになり、より集中できるというわけです。

 

専門書を「わかっても、わからなくても」どんどん読み進めていく「ヨコ勉」を、普通の本にも応用していっていいかもしれないと思っています。

 

今までバラバラに頑張ってきたものが、いつも間にか一つの方向に向かっていることに気づき、ちょっと驚いているところです。

 

充実生活の基盤

「1日も休まない」の威力を痛感しています。

 

好きなことばかりやっているし、嫌な人と接しなければならないということもないので、ストレスがありません。

 

また睡眠を十分とっているので、気力が欠けたり、病気になったりすることもありません。

 

私にとって土日と平日の違いは「きょう会社へ行っても誰も来ていないなぁ」と思うか思わないかの違いぐらいです。

 

若いころは毎日ヘトヘトになるまで働いていたので、休日は家で動けませんでした。

 

今はヘトヘトにならないし、毎日働いています。

 

睡眠時間だけは十分に取るようにしており、これから年を取るにつれ10時間ぐらい寝てもいいかもしれないと思っています。

 

医者や病院へ行ったり、入院したりすることを思えば、睡眠のコスト(時間)パフォーマンスは抜群だと思うのです。

 

個人でも会社でも安定収入が入る仕組み作りはとても大切だと思います。

 

先日、技術者(研究者)の人が書いた不動産投資の本を読みましたが、安定収入がないと、ついつい技術を安く売ってしまいがちなのだそうです。

 

安定収入があると、高い値段がつくまで売らずにすむとのこと。

 

サラリーマンだって給料のほかに安定収入があると、嫌な上役の顔色を見なくてすむし、いよいよなら転職だってできるわけです。

 

当社も5年ほど前に、事業の思い切った統廃合を行いましたが、これだって安定収入を稼ぐ部門があったからこそできた決断でした。