人生のオマケを楽しむ

「平穏無事―あとはオマケ」という(ちょっと大げさに言うなら)悟りのようなものを得ました。

 

大層なことをしようとしなくても、生活の中の小さな喜びを見つける達人になりたいものです。

 

年齢を重ねるというのは実に有利で、今はもう「やりたいこと」も「やるべきこと」もすべてわかっています。

 

あとは淡々とやり続けていくだけです。

 

凡人の武器は「継続」であり、天才も「継続する凡人」には頭を下げざるを得ないと思うのです。

 

「目標」が一つの方向性を示しているのは間違いありませんが、目標達成だけに焦点を当ててしまうと、そこに至るまでの努力が単なる過程に過ぎなくなってしまいます。

 

その努力こそが意義があるというわけですが、その努力も「歯を食いしばって」するのではなく、努力自体を存分に楽しんでいきたいものです。

 

コインパーキングの巡回清掃を週2回行っているのですが、暑い日も寒い日も掃除を楽しんでいます。

 

「きれいなコインパーキングは街の味方。汚いコインパーキングは街の敵」なので、私にとっては相当意義のある仕事でもあります。

 

ブログ書きは「人生の気づき」を見つける作業でもあります。

 

ブログを書いている途中で「なるほど、そうだったのか」と自分で納得することが多々あります。

 

それは自分の頭で考えたものではなく、天からのインスピレーションだと言ったほうが適切ではないかと感じます。

 

「1日も休まない」と決めたものに「画期的語学学習法」があります。

 

フランス語とドイツ語と英語の新聞が読めるようになり、辞書を引いたときに漢字までキッチリ覚えることができ、世界情勢にも長(た)けるようになり、これを楽しまない手はないと思うのです。

「画期的語学学習法」ーやっぱりカッコよすぎる

「画期的語学学習法」はネット上の外国の新聞をノートに書き写し、それを辞書を使って読んでいくという、極めてシンプルな作業です。

 

今までどうしてそんな簡単で、効果的な方法に気がつかなかったのだろうと不思議なぐらいですが、それもまた神様から与えられた絶妙のタイミングというものなのかもしれません。

 

この方法を学生時代から実践していたならば、今頃はどれほどの語学の達人になっていたかもしれないと悔しい気もするのですが、そもそも私の学生時代にはインターネット自体がありませんでした。

 

ネットでの新聞だと、ヘッドラインがあって、そのあとに続いて3行ほどの文章が書かれていることが多いのです。

 

量的にはたいしたことがなく、だからこそ毎日続くのだと思います。

 

今のところ1言語に20分ほどかかり、3言語なので1時間。

 

もし1時間以上かかりそうな場合は、1時間でサッとやめてしまうことも考えています。

 

あくまでも長期戦。

 

モチベーションを維持することが最優先課題なのです。

 

語学ほど「継続は力なり」の言葉が当てはまるものはありません。

 

この「画期的語学学習法」と自分との相性も良く、その絶大な効果もわかっているので、生涯続けていこうと思っています。

 

100歳過ぎたとき「画期的語学学習法」をやりながら自然死するなんて、座禅しながら息を引き取った山岡鉄舟なみにカッコいいではありませんか。

 

同じ出来事(例えばG7開催)をフランス紙、ドイツ紙、イギリス誌で読むことがあり、これもまた「カッコよすぎる!」とほぼナルシスト状態です。

画期的語学学習法

各国語のネット記事を読んでいくという「画期的語学学習法」を、1日も欠かさず続けています。

 

まだ始めてから2か月あまりですが「仏語、独語、英語の新聞が読める」という目途が完全に立ちました。

 

まだまだボキャブラリーが足らず、辞書は頻繁に使っています。

 

しかしながらフランス語もドイツ語も、特に動詞などがムチャクチャに変化し、たとえ辞書があっても、文中に出てきた単語を調べようと思っても出てこないということは“しょっちゅう”なのです。

 

つまり仏語や独語は、ある一定の知識がないと、辞書すら引けないというわけです。

 

ときたま、どう調べてもその単語が出てこないということがあるのですが(笑い話のようですが)辞書を取り違えて使っている場合があります。

 

フランス語の単語を、ドイツ語の辞書を使って一生懸命さがしていても、そりゃあ出てこないはずです。

 

外国の新聞が読めるなんて、どう考えてもカッコよすぎます。

 

まさか自分がそんなカッコいい人になるなんて思いもしませんでした。

 

まこと長生きはするものです。

 

フランス語は『ル・モンド』、ドイツ語は『ディー・ヴェルト』(ちなみに両方とも「世界」という意味)を読んでいます。

 

英語は『エコノミスト』という雑誌ですが、これはアメリカではなくイギリスで書かれているものです。

 

つまりすべてヨーロッパのメディアというわけで、おのずと欧州情勢に通じるようになりました。

 

先日行われたフランスの国会議員選挙の詳しい内容を知っている日本人なんてほとんどいないのではないでしょうか。

 

例えばウクライナ戦争など、最初から記事の内容が分かっている場合は、たまに辞書なしで理解できてしまうことがあり、これもまたうれしいのです。

 

時間を味方に

経済的な基盤や蓄財がない老後は、かなり苦しいし、悲惨です。

 

アリとキリギリスではないけれど、若い時の努力が晩年に報われるということは大いにあるはずです。

 

懸命に働き、また自分が持つスキルを磨き、より一層高いレベルで働くという努力は決して欠かすべきではありません。

 

ただし将来、それだけでは“やや”不安で、若い時から不労所得の基(もと)をコツコツと築き上げていくべきだと思うのです。

 

不労所得というからには、キャピタルゲインではなくインカムゲインであるべきですが、そうすると株よりも不動産のほうが適しているように思います。

 

不動産投資は「時間を味方にする」ことがとても大切で、お金をためて、できるだけ借入れを少なくして、時間をかけてコツコツと物件を増やしていくのが一番です。

 

たまにサラリーマン投資家が不動産投資に成功して(成功したと勘違いして)仕事をやめてしまうことがあります。

 

私の長年の観察と経験から言うならば、これはやっぱり間違いで、「自分も働き、不動産にも働いてもらう」が正解だと思うのです。

 

仮に働かなくても経済的には大丈夫だとしても、子供は親の背中を見ています。

 

働かない父親など尊敬できないと思うのです。

 

経済的に余裕が出ると、精神的にも仕事的にも余裕が出てきます。

 

以前に会社の既存事業から撤退したことがあるのですが、この時もコインパーキングでの安定収入があったおかげで、決断ができたという経験があります。

 

夢の実現

「夢のかなえ方」や「目標設定とその達成の仕方」などについては、ずいぶんと勉強してきました。

 

実務的な本も読み、またスピリチュアル系の本も読んできました。

 

案外、自分の夢はいったい何なのかがわからない場合も少なくないのです。

 

そんな時は「自分は何にワクワクするのだろう?」を考えるところから始めなければなりません。

 

「こうありたい」という自分の夢を、あたかもすでに実現したかのように思い込んでしまうというのも、かなり有効な夢実現の方法です。

 

神仏に祈る場合でも「おかげさまで〇〇が達成し、本当にありがとうございました」と過去形でお礼を言ってしまうと、がぜん実現への確立が高まるようです。

 

ごくたまに、夢や目標自体が間違っている場合があることにも気がつきました。

 

私は若いころ「会社を大きくしたい」という夢を持っていたのですが、どうやらそれは間違った夢のようでした。

 

「会社を大きくしなければならない」という思い込みを捨てた時点から、私にとっては快進撃が始まった気がします。

 

語学においても「5か国語ペラペラ(日本語を含む)」という目標を持っていたのですが、その中からまずは中国語が脱落しました(今の中国に愛想がついただけで「自由中国」になったら、また再開する予定です)。

 

70歳を前にして「画期的語学学習法」が授かったのは不思議でもありますが、語学の目標が「仏語、独語、英語の新聞を読む」に変わり、これがスコンと腹落ちして、毎日ワクワクしながら勉強しています。

 

4つの知的競合

自営業のような生活をしていると、仕事とプライベートの区別があまりありません。

 

「やりたいこと」はいつでもできるし、また毎日やってもいいわけです。

 

残り少ない人生なので「1日も休まない」と決めました。

 

生活のルーティンワーク(ワンちゃんとの散歩や自宅の掃除など)や仕事はともかくとして、夜に「やるべきこと」が4つあります。

 

「やるべきこと」は「やりたいこと」と言い換えてもよく、嫌々ながらやっていることは一つもなく、すべてワクワク感でいっぱいです。

 

実際、そうでないと続かないと思うのです。

 

夜に競合する4つのことは「語学のウェブレッスン」と「ブログ書き」と「画期的語学学習法」と「読書」です。

 

食事を除くと、夜に4時間ほど自由に使える時間があります。

 

この4時間に、今あげた4つのことを全部やるのはムリで、せいぜい2つか3つが精一杯。

 

月曜にフランス語、火曜にドイツ語のウェブレッスンは定着しています。

 

英語のウェブレッスンは「月8回コース」なのですが、月8回も受講する時間がないのが現実です。

 

が、たとえ月2回になっても、取れる時間に取っていこうと考えています。

 

英語をアウトプットする時間を定期的に持たないと、いざという時に英語が口から出てこないからであります。

 

ブログは書きためすることもあるのですが、「画期的語学学習法」だけは正真正銘1日も欠かさず続けています。

 

仏語、独語、英語の新聞が読めるようになるなんて「なんと魅力的な目標なんだろう」と思います。

 

 

カラダの反乱

高校を卒業し東京へ出て、自転車に商品を積んで売り歩いた行商から始め、会社を一部上場にまで持っていった方を知っています。

 

そういった人は、ともすれば強引な「やり手」といった雰囲気の人が少なくないのですが、私が知っているその方は極めて謙虚で温和なオーラが漂っています。

 

ただし「ハードワーク」という点では例外でなく、尋常でない労働時間を費やしてこられました。

 

クルマに商品を積み込み、地方に売りに出る場合でも、車中泊を当たり前のように行っていました。

 

ある時など寝ている間に雪が降り積もり、110番して助けてもらったこともあったとのこと。

 

「3日間の徹夜」というのも、そう珍しいことではなかったとお聞きしました。

 

大変な人格者なのですが、晩年は体の不調に悩まされておられます。

 

別の例で、猛烈な受験勉強をして医学部に入り、その後も猛烈に働き、病院の一大チェーンを築き上げた人がいます。

 

昔、その人の講演を聞きに行ったことがありますが、とにかくその熱血行動には舌を巻くしかなく、とうてい真似できないと思いました。

 

しかしながら今その方は寝たきり状態になっています。

 

一言でいえば「カラダの反乱」だと思うのです。

 

体力が元々ある人は、少々のムチャをしても体がついてくるので、ますますムチャをし、体が悲鳴を上げているのに、それにも気がつかず頑張ってしまうことがあります。

 

蓄積された疲労やムチャは、早ければ厄年のころ、遅ければ晩年に一気に「致命的な具合の悪さ」となって出てくるようです。

 

超「仕事ができる」人たちでも、健康の「当たり前の法則」から逃れることができないというのは事実のようです。