過程を存分に楽しむ

購入してはみたものの、気が重くて読む気にならないという本は結構あります。

 

「勉強しなければ」といった義務感で買った本などは、たいていそうです。

 

が、「本を読むからには理解できないといけない」という思い込みを捨てたところ、どんどん読書が進むようになりました。

 

税務や法律などの小難しい本は「わかっても、わからなくても」ページを捲(めく)っていくことにしました。

 

勉強する場所も大事で、家だと難しい本を手に取ること自体があり得ず、そういった本はすべて会社に移動させ、会社で「仕事中に」読むことにしたのです。

 

ほかのスタッフが働いているのに、自分は本を読んでいるわけで、その罪悪感と緊張感で、ものすごく集中できるのです。

 

たまに一種のゾーン状態に入り込むこともあります。

 

例えば「不動産の税金」などでも、そんなにたくさんの税の種類があるわけでもなく、同じような内容が何度も出てきます。

 

すると、興味のあることは自然に頭に入ってくるのです。

 

わからないところは「いずれわかる時が来る」のひと言で、あっさり読み飛ばしてしまいます。

 

税金や法律の本はともかく、日本古代史などは自分が好きな分野です。

 

それでも「わからないことだらけ」でメゲるときがあるのです。

 

しかし「いずれわかる」の呪文を唱えれば、ストレスなしに読み飛ばせて行けます。

 

語学でも、ときたま「わからないことだらけ」に学習意欲が減退することがあります。

 

しかし1日1時間の語学時間を「いかに楽しむか」だけを考えて継続していきたいと思うのです。

 

「継続は力なり」が結果で、「継続を楽しむ」がその過程です。 

 

 

 

古事記の話 その2

スサノオ命がヤマタノオロチを退治した時に、尻尾から出てきたのが天叢雲(あめのむらくものつるぎ)で、これが後に三種の神器の剣となるわけです。

 

しかしながら、むしろスサノオ命がヤマタノオロチを打ち倒したときの剣が、三種の神器になってもいいような気がしますが、この辺の事情はよくわかりません。

 

日本武尊ヤマトタケル命)が熊襲征伐に向かう時に、叔母である倭姫(ヤマトヒメ)から、この天叢雲剣を授かりました。

 

戦いの時にこの剣で草を薙ぎ、ピンチを脱したことから、別名「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」とも呼ばれています。

 

草薙剣を妻のミヤギヒメに託したあと、ヤマトタケル命は伊吹山で亡くなってしまいます。

 

尾張出身のミヤギヒメは、その剣を熱田神宮に奉納し、それが今なお三種の神器の一つとして残っています。

 

熱田神宮のご祭神は草薙剣ですが、熱田大神とも呼ばれています。

 

唐が強い勢力を持ち、下手すると日本に攻めてくる可能性がありました。

 

実際、白村江の戦いで「日本・百済連合軍」は「唐・新羅連合軍」に完敗しました。

 

唐の勢いを削ぐため、熱田大神楊貴妃として生まれ変わり、玄宗につきそい「傾国の美女」として、その使命を果たしたという話があります。

 

奇想天外な話ですが、熱田神宮に公式な言い伝えとして残っているのです。

 

 

 

 

古事記の話 その1

イザナギ命が黄泉の国から必死で逃げ帰り、今の宮崎県で池に入って禊(みそぎ)をします(この池は今も残っています)。

 

その時に、左目から天照大神が生まれ、右目からツクヨミ命が、また鼻からスサノオ命が誕生します。

 

この三柱は「三貴神」と呼ばれ、中でも天照大神は日本最高の神さまと崇められています。

 

天照大神は決してイザナギ命の最初の子ではなく、数十番目の子供なのに、どうして一番エライ神さまなのかはよくわかりません。

 

天照大神は、イザナギ命と南九州の地元の女性との間の子供であって(畏れながら)イザナミ命の娘ではないように感じます。

 

ツクヨミ命という神さまも、古事記などに記述があるのはこの場面だけで、あとは一切出てきません。

 

ツクヨミ命は男の神様だと思われていますが、西洋の月の女神アルテミスと同じ霊的生命体だという説もあり、そうすると女神ということになります。

 

いずれにせよ天照大神(太陽の神さま)とは仲が良くなく、それが証拠に太陽と月とは同じ時間帯に出ないのです。

 

スサノオ命という方も神様とは思えない乱暴者だったのですが、ヤマタノオロチを退治して一躍神話時代の英雄になりました。

 

 

貴族から武士へ

日本史を見ていくうえで一番のポイントは、各時代にどういった階層の人たちが世の中を動かしていたかを知ることです。

 

国がまとまり落ち着いてくると、貴族の世になります。

 

和歌といった文化が広がり、また深まりました。

 

万葉集などには名歌がたくさん集められていますが、千年以上たった今でも、その瑞々しさに感動することがあります。

 

身分制度はあっても「歌(和歌)の前では平等」という原則が貫かれており、天皇から遊女まで、優れた歌であれば何の偏見も持たずに取り入れられています。

 

中には「詠み人知らず」などと言うのもあったりして、おおらかなのです。

 

「イイクニつくろう1192年」の鎌倉幕府からは完全に武士の時代になりました。

 

鎌倉、室町、徳川と幕府は違っても、武士階級が統治しており、貴族は「およびでない」状態でした。

 

700年ほど続いたサムライの時代でしたが、その間に武士道といった(高度な)精神的文化が生み出されました。

 

武士道はあっても、貴族道なんて聞いたことがありません。

 

明治維新は武士階級によって起こされたはずなのに、武士階級を没落させる方向で進みました。

 

これがなぜか全然わからなかったのですが、キーワードは「下級武士」で、下級武士はむしろ虐げられていたのです。

 

西郷隆盛大久保利通坂本龍馬伊藤博文もすべて下級武士の出身です。

 

天皇家126代

天皇家天照大神の長男(オシホミミ命)の家系で、今上天皇で126代目。

 

一方、次男(アメノホヒ命)の家系は、出雲大社宮司として連綿として続き、今の宮司で84代目です。

 

いずれにせよスゴイ家系で、世界を探しても、これだけ続いている家系はないのではないかと思います。

 

天皇家が126代で、出雲の方が84代と、数字に随分と差があるのですが、天皇家は兄弟で継いだり、また政治的な思惑があったりして、そうなっていったのだと思います。

 

親から子へと普通につないで行けば85代くらいになるのかもしれず、一世代が30年として30年×85代=2,550年と、天皇家の歴史2,681年と極めて近い数字になります。

 

藤原家のピークは藤原道長の時代で、この時に道長が自分が天皇になろうと思えばなれるくらいの権勢がありました。

 

しかしそういった態度を一切取らなかったのは「自分の先祖が天皇家につき従ってやってきた」という意識が強かったためだと言われています。

 

藤原氏の先祖のアメノコヤネ命は、天照大神の孫のニニギ命のお供として、この国に降り立ったからです。

 

この時にニニギ命は、天照大神から三種の神器と稲の穂を託されています。

 

天皇家は、その三種の神器を引き継いでいく家系であるというのが、一番シンプルな考え方かもしれません。

 

 

朝の宗教、森の宗教

神道は朝の宗教です。

 

できれば神社も午前中に行くのがいいように思います。

 

早朝の神社はもうそれだけで気持ちがいいのですが、伊勢神宮に夜明け前の真っ暗な時間帯に行っても、何となくピンとこなかった経験を何度もしています。

 

伊勢神宮天照大神は太陽の神さまなので、真っ暗だとそのエネルギーをいただけないのかもしれません。

 

伊勢神宮では夜中に大勢の神職たちによって、重要な儀式が行われることがありますが、一般の神社を、夜に訪れるのはスピリチュアル的にも避けた方がいいように思います。

 

神道は木(森)の宗教でもあります。

 

古い神社には大木が生えていることが少なくありませんが、木が大きく育つところは「氣」がいいとも言えます。

 

大神(おおみわ)神社などは、山自体がご神体ですが、確かにエネルギーに満ち溢れているのが体感できます。

 

神道天皇家とは切っても切れない関係で、天照大神の直系の子孫というのがその権威の一番大きな理由ではないかと思います。

 

令和の今上天皇が126代目の天皇ですが、今まで男系によってのみ繋がれてきました。

 

女性の天皇も何人かおられますが、すべて「男系の」女性天皇です。

 

126代目の今上天皇は、初代神武天皇と同じY遺伝子を引き継いでいるということになります。

 

「経営・人生統合計画書」

会社の経営計画書の作成には何度も挫折しているのですが(一応作成はするが実行しない)、会社と自分とを結びつけた「経営・人生統合計画書」にしてからは、計画書がガゼン熱を帯びてきました。

 

経営計画書の場合は年1度の作成が原則ですが「経営・人生統合計画書」は、その都度書きかえていっています。

 

たっぷりと時間が確保できるときでないと、いい計画案が練れないので、長期休みの時にジックリと見直しています。

 

「なりたい自分」や「自分が本当にやりたいこと」など、ふだん自分でも案外わかってなくて、書いて初めて気がついたり、納得したりすることが多いのです。

 

そして書いてしまうと、不思議なことに実現する確率がグンと高くなるという経験を何度もしました。

 

最初にどうしたいのかのコンセプトがないと、経営や商品は成功しにくいのですが、自分自身のコンセプトもぜひとも考えるべきです。

 

初めてトライする場合だと、コンセプトが出来上がるまで多分2時間ぐらいかかると思います。

 

私の場合は「5か国語ペラペラの旅人投資家&神道マイスター」が、そのコンセプトです。

 

コンセプトが決まると、そこへ向かっていく自分がいます。

 

「経営・人生統合計画書」には「死ぬまでにやりたいこと」のリストも書いているのですが、先日、いくつかを削除しました。

 

どんどん変わっていっていいと思っているし、見直すごとに、本当に自分が望んでいることが残っていくように感じています。