鼻呼吸

呼吸には「口呼吸」と「鼻呼吸」とがあり、あらゆる健康本で鼻呼吸を勧めています。

呼吸を口でするか鼻でするかは、単にカラダに対する作用だけでなく、精神的なことにも影響するのではないかという気がします。

しかしながら少しキツイ運動の場合はどうしても口呼吸になってしまいます。

私の階段トレーニングでも、最初は口呼吸をしていたのですが、本を読んだあと鼻呼吸を試(ため)してみたら、十分それでいけることが分かりました。

生活のあらゆるシーンで鼻呼吸を維持すべきだけれど、逆に言えば、口呼吸になってしまうほどの強めの運動自体をやめるべきではないかと、ある時ハッと気がついたのです。

あくまでも私の年齢の場合ですが、運動のし過ぎがよくないのは当然のことで、また強い運動だと心臓にも負担がかかります。

強靭なカラダを作り上げているトップアスリートでも、案外短命な例はいくらでも見られます。

大相撲の横綱でも60歳ぐらいで何人も亡くなっています。

ある格闘技のプロが本に書いていましたが、きついトレーニングや試合を続けていると、ダメージがいつの間にか体に蓄積していき、次第に通常の日常生活も送れなくなるとのことです。

その人の場合も、引退後も首が後ろに回らず、クルマをバックさせることが困難とのことでした。

格闘技など、現役で頑張れるのは精々30歳代半ばまでです。

そうすると平均年齢で言うなら、あとの40数年間を体が不自由なまま過ごさなければならないということになります。

「運動しなければ」の強迫観念のもと、私も一時期スイミングに凝っていたことがあるのですが、時間と体力の消耗に終わったのではないかという気がしないでもありません(また再開するかもしれませんが)。

 

 

ごくごくたまに霊感あり

中山観音寺(宝塚市)の近くでコインパーキングを運営しており、年末に1人で集金に行きました。

集金を終えた後、なぜだかよく分からないのですが、観音様の「衆生を悉(ことごと)く救済してやりたい」との気持ちがフワッと伝わってきたのです。

自分(観音様ご自身)のことは一切考えず、人々を救ってやりたい一心なのが、とてもよく分かりました。

一瞬でしたが、観音様の深い慈悲が感覚的に理解できた気がしました。

私には霊感はほとんどないのですが、ごくたまにこういった瞬間があるのです。

伊勢神宮の内宮近くに神宮会館という宿泊所があります。

内宮に面した部屋に宿泊し、早朝に窓を開けると、なんとも懐かしい雰囲気が内宮から伝わってくるのが分かります。

天照大神(アマテラスおおみかみ)の波動(と言うか体温のようなもの)に違いありません。

伊勢神宮・内宮の近くに倭姫(やまとひめ)宮というのがあります。

もともと宮中におられた天照大神を、別の場所でお祭りすることになり、その場所を倭姫がいろいろと探され、最後に今の伊勢神宮の場所に鎮座なさったという歴史があります。

倭姫宮はその倭姫(やまとひめ)をお祭りしたお社です。

そこへ霊感に優れた私の知人(女性)が行ってきたのですが、今までで一番ピリピリと波動を感じたそうです。

私は毎月伊勢神宮に参拝に行っているのですが、外宮・内宮でのルーティンをこなすのに精いっぱいで、倭姫宮を参拝する時間がなかなか取れませんでした。

今度、別の機会を設け、倭姫宮遷宮館、神宮博物館、そして猿田彦神社へ出かけようと思っています。

ついでに言うと、帰りに本居宣長記念館(三重県松阪市)にも立ち寄る予定です。

 

 

伊勢から東京クルマ旅 睦月編 その3

予定していた東京での用事を次々こなしていきました。

ホテルの部屋で中国語のオンラインレッスンも受けました。

東京でもノンアルコール状態は続き、遂に31日目に突入。

46年間飲み続けてきたのに、こんなに突如としてお酒を飲まなくなるようになる理由は、自分でもよく分かりません。

楽しかった東京滞在を終え、宝塚の自宅へ帰りました。

いつもは9時間かかるのに、今回はなぜか8時間で到着。

東京から宝塚だと、浜松サービスエリアあたりがちょうど真ん中になります。

ホテルを朝7時ぐらいに出発することも多いので、朝食はいつも食べません。

浜松サービスエリアで「温玉うどん」を食べ、UCC店でコーヒーとモンブラン(ケーキ)を取るというのがいつものパターンとなりました。

ガソリンも入れ、時には洗車もします。

高速道路では珍しく、浜松サービスエリアには洗車機があるのです。

今回、クルマの中で聴いたCD13枚。

特に面白かったのが「史記」の解説をしたものでした。

中国には伝統的な歴史書22残っているのですが、その中でも史記は抜群に面白いのだそうです。

クルマ旅の意義の一つに(ふだん家ではできない)CDでの勉強というのがあります。

自宅では本はたくさん読むのですが、CDをジックリ聞くということがありません。

旅先では本を読まないことが多いのですが、今回はホテルの部屋で(腰を落ち着けて)読む時間を作り16冊読みました。

帰りは自宅へ午後4時ごろに到着し、荷物の整理をしたのですが、すべてが終わったのがなんと夜10時。

途中サボることもなく作業を続け、6時間もかかっているのであります(自分でもビックリしているのですが、事実です)。

ホテルのロビー。毎回フラワーアレンジメントが楽しみです。

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カウンターに座るだけで(何も言わないのに)毎回このお寿司が出てきます。

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予約した部屋の2ランク上の「ジュニアスイート」にアップグレードしてもらっていました。でも私1人にはちょっと広すぎるのです。

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伊勢から東京クルマ旅 睦月編 その2

冬の間は、伊勢神宮参拝を着物で行きたいと思っています。

正式参拝をしようと思ったら(着物の場合)羽織袴でなければ「御垣内」に入れてもらえません。。

5時半に起き、羽織袴を1人で着用し、7時前にホテルを出ました。

羽織袴を着る場合、焦るとパニックになって、帯や紐(ひも)をどう結べばよかったのかが、スコンと頭から抜け落ちてしまうのです。

洋服だといくら焦っていても、着方を忘れてしまうなんてことはありません。

だが羽織袴の場合、本当に着ることができなくなるのです。

そんな服装って、世界中どこを探しても他にはないのではないでしょうか。

羽織袴を用意する時間も含めて、普通は30分ほどで着ることができると思うのですが、1時間ぐらいの余裕を見ておかないと絶対ダメなのです。

伊勢神宮の外宮・内宮の両方の参拝だと、1万歩以上歩くことになります。

着物だとどうしても歩くのが遅くなり、また歩いている間に、前の紐(ひも)がほどけてきたり、袴(はかま)の後ろがずり落ちそうになったりしたことがあります。

こればかりは「着慣れ」するしか方法はないように思います。

参拝に限らず、今後もあらゆる機会を活用して羽織袴に挑戦したいと思っています。

1月は毎年参拝客が多く、早朝から団体での参拝も何組かあります。

バスで来るわけですが、朝5時ごろ集合しているのかもしれません。

2日間の参拝が終わると、毎回ホッとします。

早朝参拝を終え、朝食のあと、朝11時ごろにホテルをスタートし、いざ東京へ。

緊張から解き放たれてルンルン気分です。

参拝の時に得た良い波動や、クルマの中で聴くCDの影響で、毎回フレッシュな気持ちになります。

8時間半のドライブののち、東京のホテルに到着。

今回の宿泊は無料でアップグレードしてもらっていて「ジュニアスイート」でありました。

ありがたいのですが、1人では超・広すぎるのです。

 

伊勢から東京クルマ旅 睦月編 その1

どうせ挫折するに決まっているので、あまり大きな声で言いたくはないのですが、ノンアルコールが27日間続いています。

46年間ほぼ飲み続けてきているのに、突如として「禁酒」状態になると、カラダではなく、アタマの方がどこかおかしくなっているのではないかと心配です(笑)。

「家では飲まない」というのは、酒代も浮いてくるので、それなりに合理性があるように思います。

が、外でファミリーや友人たちとご馳走を食べる場合は、やはりアルコールがないと気持ちが盛り上がらないと思うのです。

ならば「外で1人で」ご馳走をいただく場合はどうなるのかの実験を今回行いました。

伊勢神宮に参拝するのはいつも1人なのですが、同じ宿に泊まっており、そこでは食事がついていて、毎回本格的なご馳走なのです。

で、結論から言うと、やっぱり飲みませんでした。

ご馳走を前にすると、ビールやワインや日本酒が欲しくなりますが、今回はジンジャエールを頼みました。

ジンジャエールが十分アルコール類の代わりになることがわかったのは大きな収穫でした。

そのうち「ノンアルコール・ビール」でも美味しいものが出て来るに違いありません(いま販売されているものはイマイチだと思います)。

お酒を飲まないと、いろいろとメリットがあることが実感できます。

現に食事の間ノンアルコールだったので、そのあと酔いつぶれずに、このブログ(の原稿)が書けました。

今までは消化するまで、ぼうっとテレビでも見ているしか方法がなかったのですが、思わぬ「時間的・儲けもの」でありました。

どうせ挫折するに決まっているので(くどい!)、あまり禁酒のメリットばかりを書きたくはないのですが、極論すると「酔っている時間がモッタイない」という気がするのです。

人生の後半戦がモーレツに忙しくなり、酔っている暇がないのも事実なのです。

で、ご馳走はこんな具合でした ↓↓

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最後の砦

国民性をジョークにした「エスニック・ジョーク」というのがあります。

その中でも有名なのが「沈没船ジョーク」。

ある国際客船が沈没しそうになり、乗客を船から飛び降りさせたい船長が叫びました。

アメリカ人に対して「飛び込めばヒーローになれます!」。

イギリス人には「飛び込めばジェントルマンになれます!」。

ドイツ人には「ルールだから飛び込んでください!」。

そしてフランス人には「法律で飛び込みは禁止されています!」。

イタリア人には当然「飛び込んだらモテます!」

日本人には「もうみんな飛び込みましたよ!」。

韓国人に対しては「日本人はとっくに飛び込んでいます!」。

トランプ大統領はプア・ホワイトの票を確保して当選したと言われていますが、白人がいつの日かマイノリティーになる可能性もあります。

もう1,000年も経てば非白人系の人口が大半を占め、歴史も歪み「1,000年前のあの偉大なアメリカは、我々の先祖がつくったのだ」と豪語しているかもしれません。

ウソかホントかは知りませんが「漢字を作った種族は既に滅び、今の中国人とは全く違った民族だった」というのを本で読んだことがあります。

ギリシャに旅行に行った人が「ギリシャの偉大な文明を作った民族は既に絶え、今の(いいかげんな)ギリシャ人は全く別の民族に違いない」という感想を漏らしていましたが、ひょっとしたらそうかもしれません。

ロンドンやパリを歩いていると(かつて多くの植民地を持っていたからか)アフリカ系の人たちも多く「一体どこの国へ来たのか?」と、錯覚を起こすこともあります。

「フランス語を話し、自由博愛の精神を持っていたら、誰でもフランス人になれる」という考え方もあるそうですが、それでいけば日本の最後の砦は「日本語と神道」なのかもしれません。

 

 

蔵書が与える自信

12年前に地下図書館がある、自宅を建てて「これで一生、本の置き場に困らない」と思って安心していたのですが、段々と本を収納するスペースが狭(せば)まってきました。

このまま何もしないでいると、たぶん今年前半にすべての書棚が本で埋まってしまいそうです。

2度以上繰り返して読む本は滅多になく(1,000冊に1冊ぐらいの割合でしょうか)、ならば捨てていっても支障がないはずです。

が、今のところ、捨てることにはかなり心理的抵抗があります。

仮に半分捨てたとすると、自分のエネルギーが半減しそうな気がするのです。

ある30代の人の本を読んでいたら「自分には1億円のキャッシュがある。それがものすごい自信につながっている」と書いていました。

事業で成功したのか、投資で成功したのかは忘れたのですが、それがちっとも嫌味に聞こえず「なるほど、そうかもしれない」と同感したことを覚えています。

同じように1万冊の蔵書は、1億円の現金を持っているほどの自信を与えてくれるような気がします。

正確に数えたことはないのですが、今の私の蔵書は2万冊ほどではないかと思います。

ならば「2億円分の自信」があるわけです(まったく変な計算ですが)。

本は持っているだけで自信になるし、良書が揃っていると、そのスペースからオーラが出ているのを感じることがあります。

渡部昇一先生は若い頃、師匠の佐藤順太先生の膨大な蔵書を見て「大学者になれなくてもいいから、せめてこんな立派な書庫を持ちたい」と強く思ったそうです。

それが潜在意識にインプットされて、晩年は15万冊の世界一の蔵書として具現化しました。

ちなみに大学者にもなっておられます。

その渡部昇一先生の本を学生時代に読んだ私もまた、そのイメージが30年後に今の個人図書館として開花したというわけです。