伊勢から東京クルマ旅 文月その2

私は関西の私学の出身ですが、会社勤務の後輩たちを見ていると、優秀な人ほど東京へ引っ張られています。

東京にはエリートもセレブも富裕層もたっぷり存在し、最新のファッションや高級レストランもあり、やっぱり刺激があるのです。

ふと「東京で語学スクールに通ってはどうだろう?」というアイデアが浮かびました。

外国人講師だってユニークで優秀な人が多いのではないかと思ったのです。

世界的に展開している語学スクールが、定宿のホテルの近くにあり、ちょっと尋ねてみました。

出てきた女性スタッフ(日本人)に色々と相談したのですが、彼女の話も相当面白かったのです。

私が行ったのは日比谷ですが、近くには大手町や日本橋にも同じ系列のスクールがあります。

受講生は近くの金融機関や外資系や三菱系の人たちが多いのですが、その割合により、各スクールの雰囲気が微妙に違うのだそうです。

いずれにせよ優秀なビジネスパーソンたちであることは間違いありません。

その語学学校には、1週間ほどの短期留学制度もあり、ニューヨークやシンガポールやパリの現地スクールで、少人数での(1週間の)半日講習があるそうです。

そうすると午前中は授業、午後からはみんなで観光や美術館に行ったりし、すぐに友達ができるとのこと。

語学のみならず「人脈構築的」にもかなり有効なのではないかと思います。

私は東京滞在の絶対数が少ないので、仮に東京で講習を取ったとしても、足らない分を関西で受けなければなりません。

今は(頑張って)週休5日にしているのですが、ボウッとしている暇もなく相当忙しいのです。

今回のカギは「いかに関西で受講する時間をつくるか」にかかっており、態勢が整うまで、もう少し時間が必要です。

もう一つのカギが「何の語学を受講するか?」。

「東京へ行ってフランス語を習っている」なんて言うのは、話のネタ的には面白いのですが、胸に手を当てて考えると、そこまでフランス語に情熱を持っていない自分を発見します。

かといって、東京まで行って中国語はないだろうという気もします。

残るはドイツ語か英語。

モチベーション的にはドイツ語が一番高いのですが、やっぱり「役に立つという意味では英語かなぁ?」と少々迷っておる最中なのであります。

 

伊勢から東京クルマ旅 文月その1

伊勢神宮への毎月の参拝は完全に定着しているのですが、そのあと東京へも行くようにしています。

今回の参拝日は、日傘が必要なのか、雨傘が必要なのかよく分からない天気でしたが(ちなみに私は夏はいつも日傘を愛用しています)、幸い、雨には全く降られずに参拝することができました。

参拝は2日間にわたって行うのですが、夏の季節は汗びっしょりとなり、ズクズクになった2着のスーツを東京まで持っていき、東京のホテルでクリーニングしてもらっています。

伊勢参拝は礼服もしくは紺のスーツで、砂利道の上を革靴で1万歩以上歩きます。

私は参拝の時だけ履く、専用の革靴を買いました。

参拝時に毎回、インスピレーションが降りてくるなんていうことはありません。

が、今回は「神さまの目から見てどちらでもいいような(つまらない)ことに心を捕らわれるな」という気づきを得ました。

伊勢2日目の早朝参拝を終えると、支度(したく)をして、そのまま東京へ向かいます。

東京への所要時間は途中の「お昼寝」も入れて8時間。

CDもたっぷりと聴くことができます。

経済分野のCDもたくさん用意しているのですが、最近は歴史のCDもよく聴きます。

車勉(しゃべん・クルマの中での勉強)のおかげで、歴史にかなり詳しくなりました。

以前、歴史の教科書1冊分を全部読み上げるCDを(間違って)買ったのですが、全部聞くのに10数時間かかりました。

クルマ旅2回分を費やし、すべて聞き終えたのですが、何か「やり遂げた感」がありました。

CDが50枚ほど入る、色違いのケースを3つ購入し、それぞれ「経済」、「語学」、「音楽」に分けてCDを入れています。

先日、久しぶりにドイツ語のCDを聞いたのですが、けっこう面白かったのであります。

 

 

3つの「やるべきこと」

やるべきことを「多読」と「語学」と「投資」に決めたのは大正解でした。

人生は短いのだから、そんなに何もかもがデキるわけではないのです。

私の能力から言えば、これらの3つで「御の字」だし、それ以上のムリをすればどこかで破たんしそうな気もします。

またこの3つしかできなくて人生を終えたとしても、全然悔いはないようにも思います。

「読書」ではなく「多読」なのですが、この世に生まれたからには1冊でも多くの本を読んで死にたいものです。

本は自分への投資なので、本代をケチる気持ちは全くありません。

本を読めば読むほど年収が上がる法則があり(少なくとも私の場合は100%その通り)、幸いにして本代に事欠くことはありません。

また本を収納する場所も、地下の書庫を整理することにより、あと1年ぐらいは行けそうで、うれしい限りです(その後どうするかはまた考えます)。

仕事が忙しすぎても本が読めないし、雑用が多かったり、他の娯楽にハマっていたりしても本は読めません。

多読は私の人生のコアの部分ですが、余計なことは極力省いて(つまりシンプルライフ)、コアに時間もエネルギーも集中させていきたいものです。

本は「読んだ者勝ち」。

月に20冊ほどでも読めば、人生に圧勝するはずです。

「語学」は今のところ完全に趣味の分野なのですが、語学という豪華客船が、見たこともない未知の世界に連れて行ってくれそうな予感がしています。

早い話が英語を読めるだけで、得られる情報量が圧倒的に違ってきます。

私はいま英語とドイツ語とフランス語と中国語を学んでいますが、一つの言葉をマスターしていく過程を存分に楽しんでいます(苦しむほど勉強していないとも言えますが)。

「投資」の世界もインカムゲインで行くと決めてからは、腰が落ち着きました。

「多読」、「語学」、「投資」のことを考えるとワクワクしてくるのです。

 

勉強しよう!

経済雑誌で、たまに「英語特集」が載ります。

定期的に組まれると言ってもよく、英語特集号を出すと売れ行きが良くなるのでしょう。

逆に言えば、それだけ英語学習に焦っている人が多いということでもあります。

私は街の不動産屋を40年近くやっているのですが、仕事で英語が必要だったことは、ただの一度もありません。

しかし「英語を勉強しなければ」の焦りに似た気持ちだけはいつもあり、一種の強迫観念と言ってもいいかもしれません。

考えれば当たり前の話なのに、今まで全然気がつかなかったことに「忙しいと勉強できない」という真実があります。

ごくたまに忙しくても勉強できる人がいますが、それは資格取得のような強烈な目的意識があるからこそ可能なのだと思います。

教養を深めたり、仕事のヒントを探したりするための「不要不急」の勉強は、忙しいと後回しになるのです。

いつまで後回しになるかと言えば、死ぬまで。

つまりやる時期は永遠に来ないのです。

自分が「週休5日制」を取って初めて「暇力(ひまりょく)」の威力を知りました。

しかしながら「週休5日制」でも、油断していると“どんどん”余計なことに時間が食われていきます。

生活や事業自体をシンプルにしていかないと、本当に大事なことをする時間が、不思議なくらい「あっという間」になくなってしまうのです。

忙しい人が勉強しなかったり、本を読まなかったりするのは、努力不足でもなく、意志の力が弱いからでもありません。

単に時間がないからだけの話です(スーパーマンじゃないのだからエネルギーの量だって限られています)。

本を読んでいると、「目が輝きだす」と表現した人がいるのですが、本当にそうだと思います。

目だけでなく、人生そのものが輝きだします。

ヒマがないと本は読めませんが、ヒマがあると読めるのです。

やっぱり生活や社交でも断捨離が必要なのかもしれません。

 

 

ふつうに生きて、ふつうに死ねること

良寛さんの書は当時から人気があったようです。

あるお金持ちが良寛さんに書を所望すると、良寛さんが書いたのは「親死に、子死に、孫死に」という言葉。

「縁起でもない」とそのお金持ちは怒ったのですが、良寛さんいわく「人が死ぬのは当たり前のこと。ならば親、子、孫と順番に死んでくほど有難いことはない。これが逆なら大変なことだ」。

確かに、普通に生き、普通に死んでいけること自体がラッキーの極みなのかもしれません。

逆に言えば、それ以上の望みは余計と言えば余計で、そういったことに囚われ過ぎないというのが、ある意味、悟りの世界でもあります。

余計な望みが一つでも叶(かな)うならば「御の字」で、それがうまくいかないからと言って不平不満を漏らしたり、自分を卑下したりのは論外です。

私もよく大ぼらを吹くのですが、その過程を存分に楽しもうとしているため、目標にまだ達していない状態でも幸せ感いっぱいです。

私は神道に帰依していますが、神さまの目から見れば取るに足らないことで、たいていの人は悩んだり苦しんだりしていると思うのです。

自分の力ではどうにもできないことは神さまにお任せすればいいわけで、また自分ができることは、さっさとやっていけばいいだけの話なのです。

神道はまことに大らかな宗教で「生きるべき道」の教えが祝詞(のりと)の中にほんのちょっぴり出てくるだけです。

「素直で正しい真心を持って、誠(まこと)の道を外すことなく、仕事に励み、家名を上げ、健康で、世のため人のために尽くそう」というのがすべて。

たったこれだけなのです。

祝詞(のりと)は暗記しているのですが、何かの折にヒョイと言葉が浮かび、間違った方向に行かないようにしてくれています。

 

 

たまたま不動産屋

私は自分の意志ではなく、偶然に不動産に関わる仕事に就いたのですが、これが今から思えば大正解でした。

「二黒土星(じこくどせい)」が私の九星なのですが、これに相応(ふさわ)しい職業が不動産業とのこと(ほかには建設業や農業などもあります)。

持って生まれた運勢をそのまま歩んでいけているのは、ラッキーと言うべきなのかもしれません。

経済が成熟してくると、その国の産業が金融や不動産の方に移行してきます。

例が適切かどうかわかりませんが、かつてのソニーは製造業の最先端を行っていました。

が、今は保険や銀行などの金融部門が収益の柱になっています(もう一つの柱はゲーム)。

ソニーは今は不動産業にも進出しており、新しいシステムで業界に風穴を開けるかもしれません。

余談ながら、30年ほど前に三井不動産が不動産仲介業に進出しようとした時、既存の仲介業の組織から猛反発されたことがあります。

が、今はどの都市でも大手仲介業者が普通に営業し、なくてはならない存在になっています。

会社も個人も儲かれば不動産を購入する方向に向かいます。

収益不動産事業(賃貸オーナー業)は片手間でもでき、資金に余裕のある会社や個人にとって打ってつけの投資であることは間違いがありません。

が、知識や経験が乏しいと、失敗することもあるのです。

そんな時に信頼して相談できる人がいると、どれだけ安心なことでしょうか。

不動産を購入するには大きな決断と大変なエネルギーが必要です(お金も必要ですが)。

普通の人が不動産を購入するというのは、マイホームも入れて、一生に3回あるかどうかぐらいではないかと思います。

私はたまたま不動産業に従事していたので、自分の意志で(当事者として)不動産を購入した経験が多分100回以上あります。

やり手の不動産営業パーソンでも、売るのは得意でも、自分が買う経験はあまりないのではないかと思うのです。

 

 

 

「神社めぐり」と「歴史探求」旅

年齢を重ねるごとに、また知識が増えるごとに、旅の質が変わってきます。

最近は観光をするのではなく、「神社」、「歴史」、「ホテル」に特化した旅になってきたように思います。

海外旅行の団体パック旅行などは一番分かりやすいのですが、とにかく1ヶ所でも多く観光地を回るという企画が多いように思います。

旅の入門編として、そういったパック旅行に参加するのはいいかもしれませんが、段々とそういった旅行では飽き足らなくなってくるのも事実です。

中国人団体客がマナーの点で顰蹙(ひんしゅく)を買っていることはよく見聞きしますが、個人旅行客の中国人となると話は別です。

日本人だって団体旅行が主流の時は、海外での評判が悪かったように思います。

充実した海外旅行にするためには、いかに事前に勉強していくかが、その旅の成否を分けます。

興味がある分野があり、テーマを持って出かけると、旅の面白さが格段に増加します。

もう3年もすれば自動運転車が相当のレベルまで発達することが考えられ、その時は自動運転車で欧州を旅行したいと思っています。

また、それまでに国内クルマ旅の達人になっておきたいとも思っています。

私の場合、「クルマ旅」と「神たび」とは、9割くらいが重なっています。

「神たび」は神社めぐりと言い換えてもいいのですが、神々との出会いの旅でもあります。

神社には必ずご祭神がおられるのですが、ご祭神によってその神社の雰囲気や性格や得意技(ご利益)が違ってきます。

現地へ行くと(畏れながら)自分と相性のいい神社かそうでないかを感じることができます。

ちなみに天皇家とのご縁が深い神社は「神宮」で、格のある大きな神社は「大社」と呼ばれています。

最近は日本史に造詣が深くなり、歴史を探求するために旅に出るのもアリで、そうなると旅が俄然楽しくなってくるのです。