優良株のバーゲンセール

昨年後半から株価が下がり出し「あれよ、あれよ」という間に含み損を抱えるようになりました。

もし短期売買を主眼に置いていたならば、かなり泡食っていたこところです。

私も最初は気持ちがヘコんだのですが、段々と慣れてきました(こういった現象にも「慣れ」が適応するのですね)。

要は売らなければ損はしないのです。

一方、配当は予定通り入って来るので、当初の計画から全然ズレてはいないのです。

株式投資では、いろいろと有名なアドバイザーやカリスマ実践家がいるのですが、私は主に2人の人の意見を尊重しています。

有料で発行されるメルマガやCDなども購入しています。

が、私が信頼を置くその2人の人でも、株を購入してから売却するまでの期間は長くて半年以内とのこと。

私のように配当を主眼に長期投資する人間は、株の世界では珍しいのかもしれません。

不動産の世界でも、私は買取転売のようなことはほとんどせず、気に入った不動産だけを購入し「じっくりと育てていく」といった考え方を実践しています。

従って所有している不動産はすべて「お気に入り」で、あまり好みではないが儲かりそうなので購入したというものは一つもありません。

株も同じで、保有するのはすべて自分が「応援したくなる」会社の株です。

月に一度、株を買う日を決めていて、キャッシュフローの手残り分で、毎月一定額を購入しています。

株を買う日は「大安」か「先勝ち」の日と決めていて、もうすでに1年分の日程を手帳に書き込んでいます。

長期投資家にとっては、今は優良株の絶好のバーゲンセールでもあります。

 

反省から希望へ

ブログを書き続けて3,540日弱。

もう少しで継続10年なのであります。

その間1日も休まず書けてこられたのは、まずは健康だったということだし、家が潰れるような大災害にも会わなかったということでもあります。

単に自分の努力だけではなく、大きなものに守られてやって来られたのだと、心より感謝しています(読者の方にも感謝しています)。

連続は3,540日弱ですが、全部合わすと5,000日ほど書いています。

ブログを本にしてくれるサービスがあるのを知り、本にしたところ61冊になりました。

それを今、ポツポツと読み進めているところです。

過去の自分には数々の反省点があるのですが、ブログを読み返してみて、相当苦労して働いていた記憶が蘇(よみがえ)りました。

非効率な長時間労働をし、下手な経営で儲けも少なく、人の問題や顧客のクレームに常に悩まされてきました。

ちょっとうまくいけば天狗になり、思うようにいかなければ一人イライラしていました。

ひとことで言えば「人間が出来ていない」もしくは「修行が足らない」わけであります。

28歳の時に不動産会社を創設したのですが、「会社は大きくしなければならない」という間違った思い込みに囚(とら)われ、この考えがそもそも間違いだったように感じます。

タイムマシンで過去の自分に会えるのなら、今なら的確なアドバイスができるはずです。

が、過去の失敗体験も成功体験もすべて捨てさることにしました。

私にあるのは「今」と「未来」だけです。

過去の自分が持っていなかった「サム・マネー」や「信仰」もあります。

これで人生の後半戦が面白くならないはずがないのであります。

実践派エコノミスト

正月休みに本を思いっきり読もうと思っていたのですが、コインパーキングの集金や、お通夜やお葬式や、年初の集まりなどで時間を取られ、ようやくひと段落しました。

今年の抱負は「週休4日」。

が、1日も休みません。

要は、水曜、金曜、土曜、日曜には出来るだけ予定を入れないで、家で勉強しようというものです。

事業家であり投資家でもあった是川銀蔵は、2年間すべての仕事を放棄し、大阪・中の島の図書館に通い「資本主義はどうなっていくのか?」を研究しました。

結果、今後も資本主義は継続するとの確信を得て、その後「実践派エコノミスト」として活躍するわけです。

株式投資家の本を読んでいても、最初は失敗ばかりしていたのが、勉強し、自分なりの投資法を身につけた頃から成功している人が多いようです。

「資本の意思」といったようなものがあると思うのです。

その「資本の意思」がどちらに向かおうとしているかが分かれば、投資で成功する確率がかなり高まるのは間違いがありません。

不動産投資にせよ、株式投資にせよ、短期の投機ではなく、長期のインカムゲインを求めていきたいと思っています。

やらないことを先に決めてしまうと、物事がうまくいくことが多いのですが、私の場合、キャピタルゲインは狙わない」を最初に決めておきたいと思います。

徹底して勉強し、じっくりと投資の果実を実らせていきたいと思うのです。

 

九州神たび・クルマ旅

旅は計画した時から始まります。

案外、計画中が一番ワクワクしたりするのです。

私にとって3年越しの「夢の旅」が、今年ようやく実現しそうです。

それは「九州神たび・クルマ旅」。

鹿児島にある霧島神宮にどうしても行きたいと思っていました。

「神宮」とついているお宮は、日本創設の時からかかわっているところが多く、神社の中でも別格です。

霧島神宮のご祭神は瓊瓊杵尊(ニニギノみこと)。

天照大神(アマテラスおおみかみ)のお孫さんに当たります。

鹿児島にはフェリーでも行けるのですが、逆にフェリーの時間に縛られたくないという気持ちもあります。

阿蘇神社にも参拝したいので、いろいろ考え、陸路をクルマで走っていくことにしました。

そうすると兵庫県宝塚市の自宅からだと、私の運転では往復5日かかるのです。

1日目は北九州市の小倉まで行くので精いっぱい。

2日目は阿蘇神社を参拝し、そのあと霧島へ行き、そこで宿泊。

日程的には、この日が一番きつくなるはずです。

次の日の早朝に霧島神宮を参拝し、そのあと大分県の別府で1泊。

別府のあとは広島県尾道(おのみち)に向かい、そこでまた1泊。

尾道のあとは、一路宝塚へ。

ずっと巡礼の一人旅なのですが、なぜか尾道から妻が参加するそうです(もう帰るだけやん!)。

 

 

元旦から働く喜び

コインパーキングの集金と清掃に、いつもはスタッフと2人で回っているのですが、さすがに正月休みの間は1人で回らなければなりません。

2人で回るのと、1人で回るのとでは、プレッシャーが5倍くらい違ってきます。

そうでなくても「1人集金」が憂鬱だったのに、今回は大晦日にお葬式が入ってきて、余計に動きが取れなくなりました。

が、元旦にはすべてのコインパーキングをまわることができ、ホッとしました。

スタートするまでは気分が乗らなかったのですが、回っているうちに段々と気合が入って来て、天気が良かったせいもあり、とても楽しく仕事ができました。

何でもまずは取り掛かってみることですね。

頭で考えているうちは前へ進まないことでも、手足を使っているうちにドンドン仕事が片づいていきます。

アダムとイブは禁断の木の実を食べたがために「労働」という罰を与えられました。

が、神道では天照大神(アマテラスおおみかみ)ご自身が機(はた)を織られ、働いておられるのです。

働くことを罰のように考えるのと、神聖な喜びととらえるのとでは、仕事に対するモチベーションが大きく違ってきます。

自社のコインパーキングの敷地内だけでなく、まわりのゴミもサッサ・サッサと掃いて回りました。

途中、散らかっていたゴミステーションが1か所あり、そこも「正月勤労大奉仕」ですっかりキレイにしました。

これでまた「天へのポイント」が加算されました。

私は今まで「天へのポイント」が貯まって、天から自宅をプレゼントされたことがあります(ホントです)。

次はどんなプレゼントがあるのかが楽しみです。

 

いくつかの気づき

立っている時も、歩いている時も、ひざを伸ばし切っていないことを、整体トレーニングの先生に指摘されました。

こういうのは自分一人では、まず気がつかないことです。

カラダ中の関節もムチャクチャ固くなっていて、今の時点でそれに気がついて本当によかったと思っています。

今までほとんど関心がなかった柔軟体操やストレッチに少しずつ取り組んでいます。

今から30年かけて体を柔らかくしていこうと思っており、いい目標ができました。

同時に筋トレも並行してやっていきたいと思います。

筋力が弱くなると、筋肉で体をちゃんと支えていくことができず、老後姿勢が悪くなっていくのはそのせいです。

勉強だって長時間机に向かうには一定の筋力が必要で、勉強のできない子供や大人は、そういった基本的なものが欠けているという原因があるのかもしれません。

ダイエットでも単に体重を減らすのではなく、筋力をつけながらやっていくのが正解だと思います。

話が変わりますが、大晦日にお葬式に行ってきました。

そこでもいくつか気がついたり、思ったりしたことがありました。

葬儀社のスタッフの人たちは、大晦日でもサッと働く体制を取っておかなければいけないので「大変だし、立派だなぁ」と思たこと。

自分の葬式の時は孫やひ孫に囲まれた和気あいあいとしたものでありたいと思ったこと。

友人たちにも来てもらえればうれしいと思いますが、少なくとも義理で来てもらう人はゼロにしたいですね。

また火葬のあとの骨上げにも立ち会ったのですが、その時思ったのが「人生は灰になるまでのゲームかも。ならば思いっきり楽しんでいこう!」なのであります。

 

 

 

知的でキレイな英語

日本人の知的階層の人たちのほとんどが「英語を勉強しなければ!」という一種の強迫観念に陥っているように思います。

国際化によって、それだけ英語の価値が上がっているとも言えるし、英語をマスターすれば、それだけその人の価値が上がる傾向があるとも言えます。

一般的に、英語ができる人は、出来ない人より年収が高いのではないかと推測されます。

「いくら勉強してもネイティブの英語を凌駕することはないのではないか?」という疑問はモットモなのですが、案外そうでもない分野があるのです。

映画の「フェア・マイ・レディ」でも分かるように、知的・社会的階層が高い人はキレイな英語を話します。

スラングばかりの程度の低い英語よりも、ゆっくりでいいから教養のある知的な英語を話すほうが、ずっと有効で意義があると思うのです。

ビジネスエリートや政治家を目指す人たちが「知的でキレイな」英語を学び直すために、わざわざ大学や専門塾に通っているといったこともよくあるそうです(英語のネイティブの話ですよ)。

ならばノン・ネイティブの私たちが最初からキレイな英語を学べば、癖や方言を直すといった二度手間を省け、むしろ地方のネイティブより有利な立場にいると言えるのではないでしょうか。

だから「Well Educated English(知的でキレイな英語)」の分野ではネイティブに負けない可能性があるということなのです。

もう一つネイティブに勝てる分野は「本を読む」ということ。

ほとんどのネイティブが、案外まともに本を読んでいないのではないかと思うのです。

月々わずか10冊の英語の本を読んでいくだけで、簡単に普通のネイティブを追い抜いてしまえそうな気がします。

従って「ネイティブに本の冊数では負けない」を、今後の私の英語の目標にしたいと思っています。