大阪探索

大阪の「適塾」と「少彦名(すくなひこな)神社」を訪問しました。

 緒方洪庵は江戸時代幕末に、大阪で腕のいい開業医として活躍していました。

コレラ天然痘などへの対処に力を注いだことも、その功績の一つです。

が、それだけにとどまらず、蘭学を学ぶための「適塾」を興し、その時代のみならず、後世にまで大きな影響を与えました。

 吉田松陰の「松下村塾」からは明治維新や明治を支える、幾人もの逸材が生まれ、もし松下村塾がなければ今の日本はなかったと言っても過言ではありません。

が、「適塾」だって同じように、日本の歴史にとってはなくてはならない存在です。

何せ塾生がすごいのです。

当時、蘭学(西洋医学)を学ぶために全国から俊英たちが集ってきました。

日本陸軍の父ともいわれる大村益次郎や、慶応の福沢諭吉も塾頭を務めているのです。

久坂玄機は久坂玄随のお兄さんなのですが、この方も3代目塾頭を務めています。

久坂玄随は「松下村塾」の塾頭格だったので、兄弟でそれぞれの塾の英才であったわけです(高杉晋作と久坂玄随は、松下村塾での際立った逸材でした)。

橋本左内高峰譲吉も「適塾」の塾生だったのですね。

塾生の中には手塚良仙と言う人もいて、この人は手塚治虫の曽祖父に当たります(手塚治虫はこの人を主人公にした漫画も描いています)。

適塾は今の大阪大学の前身でもあるのですが、手塚治虫ものちに阪大の医学部に入学しています。

適塾は思ったよりも広かったのです。

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この中で塾生がひしめき合って勉強していました。

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階段と言うより、ほとんどハシゴといった方がいいぐらいの超・急こう配でした。

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昔の柱や梁がそのまま残されています(それだけでも貴重な建物です)。

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大阪の道修町(どしょうまち)にある少彦名(スクナヒコナ)神社にも立ち寄りました。

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大阪の街のド真ん中にある、なんとなく庶民的な神社でありました。

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