ホンモノだけと接す

今回は学校の後輩を招いての4人での食事会。
不動産業界という共通した土俵にはいるものの、今までほとんど話したこともない人たちと会食するのですが、「同じ学校」というだけで胸襟を開いて話ができるのが有難いところです。
むろん、勘定は先輩である私がすべて持ちます。

時たま、こういった場を設けないと私自身が「井の中の蛙」になりそうなのです。
少人数の会食だと中身の濃い話ができるし、私のペースで日時も場所も設定できます。
「仕事ができて性格もいい」若い人たちと話をすると、大いに刺激を受けることがあり、私にとってもプラスです。

いま「一生もの」の友を作る努力を一生懸命しています。
自分よりも若い友であることが前提です。
また「時間を守る」と「タバコを吸わない」が2大条件でもあります。
もっと付け加えさせていただくと「ポジティブ」な人。
ネガティブな人と付き合うと、こちらの運気まで停滞してしまいます。

付き合う人というのは本当に選ばなければならないのです。
成功者を見ていても尊敬できる人とそうでない人がいます。
品格のある人もいれば、品格に欠ける人もいます。

品格のない人からは遠ざかるべきなのです。
品格というのも一種の「波動」なので、具合の悪い人といると、こちらの波動まで乱れてしまうのです。
波動が乱れると言動が知らず知らずの内に荒(すさ)んできてしまいます。

品格がないと、神々のご加護が得られないのです。
「野にして粗だが、卑ではない」という言葉がありますが、卑(いや)しい心や“さもしい”心は神々の御心にそぐわないと思うのです。
武士道は日本の高度な精神文化の一つですが「武士道」の対局をなす言葉は「卑しさ」だと思うのです。

芸術でも、たまに地獄の方を向いたものがありますが、そんなものを評価してはならないのです。
ノーベル文学賞でも時に「変てこ」なものが受賞したりすることがあるのですが、神の御心に添わないものは芸術とは呼びません。

刀の鑑定士は子供の時より本物ばかりと接し、その波動を体に叩き込んでいるので、偽物が出てくるとすぐに分かるのです。
人でも芸術でも「ホンモノ」と接していきたいと強く思っています。