神々のパワー

昨年の10月から毎月伊勢神宮に参拝に行き出し、まだ1年経っていないのですが、明らかに自分自身とその周辺が変化していっているのが分かります。
その変化を友人たちが察知し、一緒に参拝したいという申し出があります。
当然ウェルカムで、神々のパワーが私だけでなく、友人たちにも行き渡ることを願っています。

伊勢神宮に毎月1泊2日かけていくのですが、最初の頃は(畏れ多くも)「ひょっとしてムダなことをしているのではないだろうか?」という気持ちがありました。
自分に霊感でもあればいいのですが、さっぱりないのに時間と費用をかけて、月のうち2日も使ってしまうのは「ちょっとやり過ぎではないか?」と思っていたわけです。

最近は常に天照大神(アマテラスおおみかみ)を意識しています。
意識というより「守られている」といった感覚が強くなってきました。
さまざまな災難から身を守ってもらっているという実感があります。

降りかかってくる「大難」を「小難」に、「小難」を「無難」にしてもらっているわけです。
逆に一見自分にとって不利なことが起こっても「これは何かの意味があるのだ」とポジティブに捉えることが出来るようになりました。

そうすると現状を上手く受け入れることができ、感情のブレも少なくなっていきます。
もうそれだけでも「効果あり」なのですが、神々の波動を自分に取り込んでいってこそ本物なのかもしれません。

この世的にキチンとした生活をし、仕事もバリバリやってこそ真の信仰だと思うのです。
生活が乱れ、会社の役にも立たないような人間が、いくら信仰を唱えても全く迫力がありません。
動物霊や浮遊霊のようなものを相手にして「自分は霊感がある」などと喜んでいてはいけないのです。

昔、宮尾進さんが進行役をしていた「日本の社長」というテレビ番組がありました。
長い間放送していると、今まで訪れた社長の中には、倒産する人も出てきたそうです。
宮尾進さんが「いつまでも順調に繁栄していく社長と、倒産する社長にはどういう違いがあるのだろう?」と考え、ハッと気がついたことがあったそうです。

それはその社長の自宅に「仏壇があるかどうか」とのこと。
むろんクリスチャンの人もいるので、そういう人の家には仏壇はないかもしれません。
要は正しい信仰心を持っているかどうか、ということなのでしょう。
神仏を尊んで繁栄しない方がおかしいのです。