老いに負けないぞ

5年ぶりぐらいに健康診断を受けました。
商工会主催で、たくさんの人が一斉に受けるのですが、身長体重や視力検査から始まり、移動しながら色々な検査をしていきます。
なかなか合理的なシステムで、何回も繰り返してきて、一つのノウハウとして確立しているのでしょう。

私にとっては織り込み済みのショックではあるのですが、身長を図った時、3センチも縮んでおったのであります。
確か171cmあったはずなのですが、今日の測定では168cm。
厳密に言うと、167.8cm。

私は今58歳ですが、こうしていくつもいくつも「老い」を感じるシーンが今後も出てくるのだと思います。
目だって視力1.5だったものが0.5。
近眼用の眼鏡と老眼用の眼鏡とを、いつも持ち歩いています。
目が悪いと、海外の空港に行った時に非常に不便です。
遠くの表示板を見ないといけないし、手元の書類に目を通さないといけないし、飛行機の乗り換えの時間が少ない時など、ちょっとパニックになる時があります。

内臓の検査結果はまだ出ていないわけですが、少々具合が悪い結果が出ようと、あまりショックを受けないようにしようと思っています。
44歳の時入院した経験があるのですが、その時はしばらく原因が分からず、ひょっとしたら「死」というオプションもあるかなと思いました。
私は「この世は仮の姿で、あの世こそ本当の世界」という死生観があるので、死自体には別に動揺しなかったのですが、「これだけ恵まれた環境にいながら、この程度の仕事しか出来なかった」ことに大きな後悔を感じました。

「95歳までバリバリの現役で働く」と勝手に宣言しているのですが、これとて神様のご意思がなければ、到底実現できるものではありません。
私は神道的生き方をしようと思っている者ですが、神様への感謝を欠かすわけにはいきません。
ただ日々老いていくのも事実で、いかに上手く老いてゆくかが問われると思うのです。

別にもうモテたり、結婚したりしなくてもいいので、いちいち老いに気を取られる必要もないのは助かります。
一途に仕事をしていけたら、もうそれでいいではないかと考えています。
命とは体のことだけにとどまりません。
命は時間なのです。
命を大切にするということは、時間を大切にするのと全く同じなのです。
命は神様から与えられたもの。
だからムダなことや詰まらないことに時間を費やしてはいけないのです。

若いころから、いっぱいムダな時間を過ごしてきました。
しかし「命は時間」だと悟ったからには、人生の本筋にのみ集中していきたいと思うのです。
私にとっての人生の本筋とは「働くこと」。
そして私にとっての「働く」とは仕事と勉強。
たぶん自分にとって仕事や勉強をしている時が一番輝いている時だと思うのです。
しかも至福の時間。
だから生涯現役で働こうと思うのです。