神恩感謝の返礼方法

伊勢神宮で神様に個人的なお願い事をする場合、外宮の多賀宮(たかのみや)でするのがいいと言われています。
多賀宮は、外宮の神様である豊受大神(とようけのおおみかみ)の荒魂(あらみたま)を祭っています。
逆に伊勢神宮のような格の高い神さまがたの前では、個人的なお願いは多賀宮以外ではすべきではないとも言えます。
実際、天照大神アマテラスオオミカミ)をお祭りする内宮で、ご祈祷をお願いする時、その圧倒的な雰囲気に押され、申込用紙に「商売繁盛」などという「個人的な軽い」お願いは書けたものではありません。
私は今まで「日本国繁栄」と書いてきました。

最近は神恩感謝と書くようにしています。
人間が傲慢になって、何でも自分たちの力で出来てしまうなどと錯覚するから、時たま震災のようなことが起こるのだと思います。
私も阪神大震災を経験していますが、地震の直後「これは天の警告(意思)」だということをハッキリと感じました。
阪神大震災の時の首相が村山富一氏、東北大震災が管直人氏。
この二人が首相をしている時に天罰のような災害が降りかかったのは、決して偶然ではないと感じるのです。

さて「神恩感謝」と書いたのはいいけれど、その御恩をどういう形でお返しすべきかがよく分かりませんでした。
しかし自分の出来ることからやっていけばいいと、先日の出雲大社への参拝以来分かってきたのです。
神さまに直接お返しできないのであれば、自分のまわりの人たちに返していけばいいのです。

そのための武器がまずは「上機嫌力」。
いつも自分が上機嫌であれば、まわりの人も楽しくなっていくわけです。
自分が不愉快だから、あるいは自分は偉いのだから、不機嫌で当たり前だと思っているのは、とんでもない勘違いです。
「自分は偉いから不機嫌」とは実に変な論理ですが、傲慢さが染みついたエライさんにはこういった人が少なからずいるのです。

「煩わしさを気にもしない」も、神恩に報(むく)う力であることを発見しました。
私は掃除を結構するほうですが、自宅や会社周辺の掃除などでは煩わしい気持ちになることが少なくないのです。
オフィス内部の掃除ではあまり感じないのですが、時間がもったいないという焦燥感に時たま駆られるのです。
自分の本筋である仕事や勉強をやっている時は、全く時間が勿体ないとは思わないので、ちょっと掃除を格下に見ているのかもしれません。
鍵山流掃除を22年間続けてきて、この程度の意識であるのはちょっと恥ずかしいかもしれません。

雑用のような仕事や家事は、煩わしいと感じることがあるかもしれないのですが、これを意にも留めないでホイホイとこなしていくことが、案外神恩感謝につながっていっているのではないかと気がついたのです。
「嫌だなあ」と思う間もなく、やり進めていけばいいのです。
やっているうちに楽しくなってきたりします。
神恩感謝への具体的返礼方法は、意外に身近に転がっているように思えるのです。