上質な生き方

人生の折り返し点を過ぎたなら、上質の生き方をしたいと思うのです。
若い頃はガムシャラに働けば、それでよかったと思うのですが、年齢を重ねるごとに「より上質な生き方」を目指さなければいけないと考えるようになりました。
自分のすべての行動に「心」を置き忘れずに入れていこうと思います。
掃除一つとっても「心」を入れているのと、そうでないのとでは、見た目は違わなくても、霊的なレベルがだいぶ違ってくるように思うのです。

カトリックのシスターが、たくさんのお客さんの食事の用意で、テーブルにフォークやナイフを並べていました。
その時に先輩のシスターに言われた言葉が「フォークやナイフを並べる時、ひとこと『お幸せに』と心の中で念じなさい」。
そうでないと、せっかくの行為が「もったいない」というのです。
そういう意味では、私たちの行為は「もったいない」ことだらけなのではないでしょうか。

たとえ単純作業であっても、ひとこと他人のために念じていけば、一気に霊的に意味のあるものに変化するのだと思います。
例えばチラシまき一つとっても、そのお宅の幸せを念じて入れていけば、少なくとも「散らかし」にはならないはずです。
「幸せを念じる」ほどの精神的高さを持ち合わせていないなら、「このチラシに反響あれ」でもいいと思うのですが、たぶんその念じるという行為は、大きな差となって表れるはずです。

Oさんの掃除の仕方を見ていると、まわりの波動をも一緒に整えている感じがします。
「心」もしくは「氣」が入った掃除です。
たかが掃除で、オドロオドロしいことを言うようで恐縮なのですが、50年間掃除を続けてこられた鍵山秀三郎先生でも「目に見えないところをキレイにすると、明らかに『氣』が通ったのが分かる」と仰っています。
ガサガサっとした掃除はかなりレベルの低い掃除。
やっぱり“ていねい”でキチンとした掃除が、やっている本人の精神性をも高めるのだと思います。
気もそぞろに掃除していては、それこそ「もったいない」のです。