さあ、がんばろう!

ごくごくたまに、朝起きた時、心が感謝の気持ちで満たされていることがあります。
ただしそれはシャボン玉のようで、大事に扱わないと、すぐに壊れてしまいそうなのです。
だからそのシャボン玉を壊さないように、そうっと起き、静かに動き出します。
太極拳のようなゆっくりした動き。
シャボン玉だから時間がたてば消えてしまいます。
この「ありがたいシャボン玉」をそのままの形で、心の中に置いておくことが出来ないものか?

この世に生まれたのは、自分の意思かどうかは分かりませんが、少なくとも自分の力ではありません。
100%自分の力ではないことだけは確か。
つまり神様の力。
あるいは神の意図。
ならば神様が悪いようになさるはずがないのです。
神様が見守って下さっているのだから、心配ばかりしないで、どんと構えていればいいのです。

100%自分の力ではないのに「われがわれが」と主張するのはおかしいのです。
人にはそれぞれの「分」や「器」があり、それを超えたものを求めるわけにはいかないのです。
逆に自分の「分」を知り「器」の中で生活するなら、かってに幸せになるようになっているのです。
謙虚にやるべきことを淡々とやっていく。
神様はそんな人が大好きなのです。
だから神様が応援して下さらないわけがないではないですか。

日本神道は「その身そのままで光っている」という考え方。
与えられた「そのまま」を感謝し、それを活かしていく。
「過去のカルマ」がどうのこうのと言われても、ちょっとつらいし、どうしようもないですよね。
神様から与えられた自分なんだから、「その身そのまま」で自信を持って進んでいけばいいのです。
神様は悪いようにはなさらない。
だから楽観的に、やる気をもって取り組んでいけばいいだけなのです。