感謝のシャボン玉

ごくごくたまに、ひじょうに満たされた気持ちで、朝目覚めることがあります。
大宇宙の根源とつながっているような感覚。
「悟り」とはこういう感覚のことをいうのかもしれません。
こわれやすいシャボン玉のようで、ゆっくりゆっくり動かないと消えてなくなってしまいそうなのです。
だから起きてしばらくは、太極拳のような“ゆったり”とした動きをすることになります。
やがて感謝がいっぱい詰まったその感覚は、いつの間にか姿を消します。

今まで自分の内臓たちに感謝をしたのか?
細胞の一つ一つに「ありがとう」と言ったのか?
その壊れ易いシャボン玉のような感覚を、少々のことでは壊れないものにするのが、この世の修行なのかもしれないと思ったりもします。
さあ、私は変わるんだ。