同じくハプスブルグ家の支配下にあったプラハチェコ)に行った時に、当然ドイツ語が通じるものだと思っていたら、こちらの方はぜんぜん通じなかったので、逆に驚いたことがあります。
プラハ出身のカフカの小説はドイツ語で書かれているので、当然そうだと思っていたのです。
ハプスブルグ家がプラハに作ったエリート校はドイツ語で教えていたのですが、カフカもそこの生徒でした。
それでドイツ語なのです。