2007-06-21 ■ 同じくハプスブルグ家の支配下にあったプラハ(チェコ)に行った時に、当然ドイツ語が通じるものだと思っていたら、こちらの方はぜんぜん通じなかったので、逆に驚いたことがあります。 プラハ出身のカフカの小説はドイツ語で書かれているので、当然そうだと思っていたのです。 ハプスブルグ家がプラハに作ったエリート校はドイツ語で教えていたのですが、カフカもそこの生徒でした。 それでドイツ語なのです。