2007-04-01から1ヶ月間の記事一覧

高校生の時に志賀大郎先生から、鈴木大拙の心的変化の様子を写真で説明していただいたことがあります。 若い頃の鈴木大拙は、秀才が鼻にかけたような雰囲気を持っていました。 40歳代ぐらいの頃は「どうだ、オレは偉いだろう」という顔。 それが晩年は、柔ら…

わが師鍵山秀三郎先生のお姿を始めて見たのは、トイレ掃除のビデオでした。 最初から最後まで、ごく普通の男性がトイレ掃除をやっているビデオなのですが、まさかその男性が鍵山秀三郎先生であるとは夢にも思いませんでした。 本当に偉い人は、ごく普通の人…

漏尽通力とは、霊能力を抑えて普通の人間として、この世で生きていく能力のことです。 それがさまざまな霊能力よりも上に位置付けられているから面白い。 きのうのブログで書いた「あほになる努力」はまさにこれに当たるのだと思います。

春風の人格、秋霜の努力

仏陀には六大神通力が備わっていたといいます。 遠くのものを見る能力、人の心を読む能力、未来を見る力など。 しかしその中でも一番大事な能力とは、漏尽通力(ろうじんつうりき)だと言われています。

賢くなる努力は必要だけど、あほになる努力も必要なのですね。 これは私にとってはまさに悟りに近い、画期的な気づきでありました。

今日から自分の役割をしっかりと認識し、けっして自分の意見を言わないようにしていきたいと思います。 むしろ自分がいれば自然に場が和(なご)み、チームが一つになれるような“徳づくり”を目指していきたいと思うのです。

悪意ではなくても「オレがオレが」と先頭に立とうとしている時は、私の場合、あまり上手くいかないことが多いのです。 逆にちょっと一歩下がり、誰かを支えていく役割をしていく時の方が、圧倒的に上手くいくのです。

けっして希望して会長になったわけではなく、むしろ引き受けることを嫌がっていたぐらいなのですが、これもまた神様の意図なのだと思います。 いい仲間と出会うことができ、きのうはまた凄く大切なことを学ぶことができたことに感謝。

今頃気がつくのもおかしな話ですが、普段は会社で100%自分の意見を通しているので、そういうことが分からなかったのです。 会議で自分の意見をハッキリ言っても、何も変わらないことも、よく分かりました。 むしろ人の意見をよく聞いた方が、自分が思う理想…

会議で自分の意見を言うのは当たり前のようですが、実際はそれがいいとは限らないのですね。 誰かに遠慮してとか、ゴマをすって口を出さないと言うのではなく、場をまるくし、一つにまとめていく役柄もあるということに気がつきました。 自分は「切れ者」タ…

おとつい、きのうと会議が続き、しかも前者はストレス、後者は爽快感を持って帰るという正反対の結果となり、大いに考えさせられるものがありました。 すべて、私が自分の意見を積極的に述べたか、あるいは我慢して調整役に徹したかの違いなのです。

昨日は別の会の会議がありました。 自分が会長をしているせいもあったのですが、極力自分の意見を言わないようにしました。 きのうの会議はまろやかで調和したものになりました。

場がなごむ存在

おとつい、ある大学のPTAのような組織の常務役員会に行ってきました。 会議では自分の意見をポンポン言っていたのですが、何か浮いてくる自分を感じていました。 家へ帰るのが遅くなったのもあるのですが、非常にストレスを感じ、気分が落ち込んでいまし…

小さな感動はどこにでもあり、しかもそれは宇宙の真理とつながっている。 小さな感動は素直な心さえ持っていれば、誰にでもできる。 そんな小さな感動の世界を探していこうと思うのです。

志望の大学に入ったと思ったら「五月病」、大目標を達成したら「燃え尽き症候群」。 しかし小さな感動や小恍惚感の連続であれば、そのような落とし穴はありません。 外の世界に感動を見出すのはもちろんのこと、実は自分の内の世界にも感動できるのです。 お…

もうひとつの人生成功のコツ。 それは小さな喜びをつなげていくことです。 そんなに劇的な喜びばかりが毎日あるわけではありません。 でもじっと目を凝らしていると、小さな感動はそこかしこに転がっているのです。 それを見つけるのがうまい人が人生の達人。…

見返りを求めない努力が空しいと言うのであれば、努力そのものを楽しめばいいではありませんか。 努力の時点で楽しんでしまえば、あとはもうオマケのようなもの。 成果のところばかりを求めているから苦しいのです。

努力は人間の分野。 成果は神様の分野。 神様の分野まで口を挟むのは、おこがましい限りです。 結果の部分は神様にお任せし、私たちは淡々とやるべきことをやっていけばいいだけなのです。 それ以外ほかに何か方法があるでしょうか?

しかし農業では報われなかったけれど、そうした努力で体が鍛えられ、後々のビジネス社会で大いにその体力が役に立ったという経験をされています。 努力は形を変えてでも必ず報われるのです。

鍵山先生は若い頃、疎開先で百姓をやっておられました。 収穫があるのが奇跡のような田んぼを借り、懸命にイネを育てていたのですが、いくら努力しても水不足で枯れたり、災害にあったりと、おおよそ努力が報われることがありませんでした。

一生懸命成果を求めて努力するわけですが、じゃあ成果がなかったら努力の意味がなかったかといえば、そうでもない。 「努力は形を変えてでも必ず報われる」というのが、わが師鍵山秀三郎先生の教えでもあります。

小さな感動の世界

恩寵とは神から与えられた慈(いつく)しみや恵みのこと。 恩寵は努力に勝(まさ)るのです。 神様から与えられるものに比べれば、人間の努力で得られるものなんて、実にちっぽけなもの。 お金か肩書きか名誉か知らないけれど、そんなものを振りかざして一体…

年末の社内旅行をサンフランシスコにすると言いふらしていたら、それに照準を合わせ、英語のカセットを購入して勉強し出した女性社員がいます。 「やっぱりサンフランシスコはやめて、台湾にします」などと言うと、カクッと来るでしょうから、ここはひとつ頑…

私の場合、一番重要視しているのが「読む」。 外国の本をいっぱい読みたいのです。 英語やドイツ語を学ぶというのではなく、英語やドイツ語を通して、いろんなことを学んでいきたいのです。 日本語は月に100冊なんて大法螺を吹いていますが、外国語の本は今…

仕事も忙しいし、もうやめようと思っていた矢先、突如として先生の言っている内容が分かり出したのです。 そうなるとぜひ来期の授業も受けてみたいと思うようになり、今は機嫌よく行っています。 クラスで最下位だったのが、今は下から3番目ぐらいにまで盛り…

ツァイトラー先生のクラスを丸2年間抜けたあと参加したら、完璧に落ちこぼれでした。 私よりレベルが下だった人全員に抜かされていました。 それだけツァイトラー先生の教え方が上手いとも言えます。

もう一人は、とにかくドイツ語が面白くて仕方がないらしく、ドイツ語の文章を片っ端から丸覚えしたり、ドイツの公的な機関にドイツ語でメールを打ってみたり。 「ちょっとついていけないなぁ」と思っていたら、ドイツ語の実力でも本当についていけなくなりま…

なぜドイツ語かと言うと、スイスに住んだこともあって、ドイツ語に興味を持っていたからのようです。 今は書道の先生をしているという一種のスーパーウーマンでもあります。 語学の勘所や勉強のコツもよくわきまえている、即ち語学のセンスがいいのでしょう。

この人は同志社の国文科を出て、最初国語の先生をしていました。 結婚してから夫の勤務の都合で外国に住み、英語をマスター。 そして次にドイツ語というわけです。

ドイツ語のクラスメートだった一人は、本格的にドイツ語を勉強するために「ゲーテ・インスティチュート」というドイツ語専門の語学学校へ行き、さらにドイツでの半年間の短期留学までしています。 勉強はいくつになっても出来るのです。