2007-04-21から1日間の記事一覧

小さな感動はどこにでもあり、しかもそれは宇宙の真理とつながっている。 小さな感動は素直な心さえ持っていれば、誰にでもできる。 そんな小さな感動の世界を探していこうと思うのです。

志望の大学に入ったと思ったら「五月病」、大目標を達成したら「燃え尽き症候群」。 しかし小さな感動や小恍惚感の連続であれば、そのような落とし穴はありません。 外の世界に感動を見出すのはもちろんのこと、実は自分の内の世界にも感動できるのです。 お…

もうひとつの人生成功のコツ。 それは小さな喜びをつなげていくことです。 そんなに劇的な喜びばかりが毎日あるわけではありません。 でもじっと目を凝らしていると、小さな感動はそこかしこに転がっているのです。 それを見つけるのがうまい人が人生の達人。…

見返りを求めない努力が空しいと言うのであれば、努力そのものを楽しめばいいではありませんか。 努力の時点で楽しんでしまえば、あとはもうオマケのようなもの。 成果のところばかりを求めているから苦しいのです。

努力は人間の分野。 成果は神様の分野。 神様の分野まで口を挟むのは、おこがましい限りです。 結果の部分は神様にお任せし、私たちは淡々とやるべきことをやっていけばいいだけなのです。 それ以外ほかに何か方法があるでしょうか?

しかし農業では報われなかったけれど、そうした努力で体が鍛えられ、後々のビジネス社会で大いにその体力が役に立ったという経験をされています。 努力は形を変えてでも必ず報われるのです。

鍵山先生は若い頃、疎開先で百姓をやっておられました。 収穫があるのが奇跡のような田んぼを借り、懸命にイネを育てていたのですが、いくら努力しても水不足で枯れたり、災害にあったりと、おおよそ努力が報われることがありませんでした。

一生懸命成果を求めて努力するわけですが、じゃあ成果がなかったら努力の意味がなかったかといえば、そうでもない。 「努力は形を変えてでも必ず報われる」というのが、わが師鍵山秀三郎先生の教えでもあります。

小さな感動の世界

恩寵とは神から与えられた慈(いつく)しみや恵みのこと。 恩寵は努力に勝(まさ)るのです。 神様から与えられるものに比べれば、人間の努力で得られるものなんて、実にちっぽけなもの。 お金か肩書きか名誉か知らないけれど、そんなものを振りかざして一体…