鈍感力

お釈迦さんは「六大通力(ろくだいつうりき)」といって、未来や遠方や人の心を読む力などを持っていました。
その六大通力の中で最高のものが「漏尽通力(ろうじんつうりき)」と言われるものです。

これは高度な霊能力があるのに、それらを封印してしまう能力です。
つまりスーパーマンが凡人になることなのですが、これが一番難しいなんて不思議であり、またなんだかちょっとホッとしてしまいます。

また昔から、成功のための3つの要素として「運・鈍・根」が挙げられます。
この中には「才能」や「努力」など、私たちが子供の頃より植えつけられてきた価値観が全く入っておらず、これにも面喰います。

「運」は自力ではなく他力。
「根」は根性ではなく、根気なのです。
そして「鈍」は愚鈍ということ。
成功するために「鈍い」という言葉が入っていること自体、驚きでもあります。

何が言いたいかというと、私たちはいつもまわりの反応や評価を気にし過ぎているのではないかということなのです。
貧乏神や不幸の神が、ある人に不幸や災難を与えようとしても、与えられた本人がちっともそれを気にせず、淡々と「やるべきこと」をやり続けていたら、貧乏神たちも遣(や)り甲斐がなく、早々に退散してしまうのではないでしょうか。

少々の不幸や災難にも気がつかない鈍感さは、とても大事なことだと思うのです。
世の中、いちいち落ち込んでいたら、やっていけないのです。
自分が思っているほど、その事態は大したことがないことに気がつくと、とても心が楽になります。

あなたが気にしているほど、人はあなたのことを気にしていないのです。
人は自分のことを考えるのに精いっぱいで、他人のことなんて10秒ほど気にすれば、それで終わりなのです。
だから一人でいつまでも、つまらないことにくよくよする必要は全くないのです。

そんなことは時間のムダです。
悩んで少しでも良くなればいいのですが、そんなことはありません。
だったら、さっさと気持ちを切り替えて、前に向かって進むべきなのです。
どうでもいいことに、いつまでも拘(こだわ)ることはありません。

ほんのチョッピリ思わぬ事態が来たからといって、大騒動しなくてもいいのです。
大切なのは淡々と「やるべきこと」をやっていくことなのです。