神宮参拝

若い頃はそんなにクルマを活用するということはなかったのですが、最近はクルマの便利さに目覚め、どこへいくのもクルマで行くことが多くなりました。
月に一度行く伊勢参拝もクルマです。
宝塚から伊勢へはずっと高速道路が通っており、スッとまともに行けば2時間半ほどです。
が、私の場合は途中のパーキングエリアで休憩を取ったり、寝たりする必要があるので4時間近くかかります。

先日は外宮での参拝がとても気持ちよかったのです。
すがすがしい空気が神宮の中から漂っていて、もうそれだけで霊験あらたかでした。
外宮にお祭りされている神様は「豊受大御神(トヨウケのおおみかみ)」ですが、この神様は参拝に行くごとにニコニコしてお迎えしてくださるように感じます。

こうして毎月神宮にお参りに行けることだけでも、健康面や時間面や経済面など、いろいろなラッキーが重なり合って初めて行けるわけで、ほとんど奇跡に近いことではないかと感謝しています。
仮に寝たきりの生活だとしたら、神宮参拝は一生に一度の悲願といっても大げさでないぐらいの出来事になります。

私はよく夢の実現の方法のことなどを書いていますが、もし寝たきりであれば、そんなことは文字通り「夢のまた夢」。
資産100億円と、寝たきりでない方のどちらかを取らなければならないとしたら、当然誰でも後者を選択するはずです。
他者や自分への不満や、普段の生活の不具合など、寝たきりと比べれば、もうどちらでもいいぐらい小さな小さなことではありませんか。

自分の力で顔を洗ったり、食事ができたり、歩けたりすることができるだけでも、もう大感謝ということにならないでしょうか。
そんな有難い状態なのに、なんでちっぽけなことにイチイチ文句を言ったり腹を立てたりする必要があるかということなのです。
人に自慢するようなことが何も出来なくても、自分が思ったようにうまくいかなくても、寝たきりの状態よりはずっとましなはずです。

「生きてるだけで丸儲け」というのはタレントの”明石家さんま”さんの言葉ですが、「寝たきりでないだけ大儲け」でもあります。
「寝たきりでない」今の状態を神様に感謝したいと思うのです。
これからも夢は追っていきたいと思いますが、それ自体、とても贅沢なことだということを再認識しました。