勉強の魅力

相変わらず時間に追われまくっています。
ちょっと仕事に力を入れると、勉強が疎(おろそ)かになるというパターン。
信越化学の金川千尋さんやユニクロ柳井正さんの本を読むと、夜の会合にはほとんど参加しないとのこと。
一流の仕事をしていれば、変に人脈を増やさなければならないなどと、余計なことを考えなくてもいいということなのかもしれません。

不動産の勉強会でも、その会に参加して有益だったかどうかは、いいメンバーがいたかどうかによって左右されます。
いい会に参加できたときは、私のメモ帳がメモとアイデアとでいっぱいになります。
「あの勉強会に行ってなければ今の事業はない」というような有益な会もあれば、時間のムダだったという会合もあります。
そこのところの事前の見極めが、実に難しいのです。

よく仕事も遊びも人の何倍もする経営者がいますが、一度勉強の喜びを知ってしまうと、ムダに遊んでいるのが惜しくて仕方がありません。
仕事をするのは当然として、あとの時間を遊んでしまうのか、それとも勉強に充てるのかで、長い人生に大きな差がついてくるのは間違いありません。

私はよく海外への個人旅行をしますが、正直言って英語が出来なければどうしようもありません。
海外旅行は視野を広めるという意味では、ものすごい効果があります。
やはり機会があれば外国を見るべきなのです。
明治の初めに岩倉使節団が2年間も海外へ視察に行きました。
国内の政治を放っておいて、よくそんなに長い間行ってこられたものだと心底驚かされます(明治の人は肝っ玉が据わっていたのかもしれません)。
仮に中小企業の社長が2年間も社業をほっぽり出して他所(よそ)へ行っていたら、間違いなく会社はなくなっているに違いありません。

しかしながら、その時海外を見てきた大久保利通と、見なかった西郷隆盛とでは、そのあとの政治的・外交的な認識力において大きな差がついてしまいました。
後世から見て、途中から西郷隆盛は時代からズレてしまっていたのがよく分かります(ただし人格的な高さは別問題)。
渡部昇一先生も指摘されているのですが、西郷隆盛山本五十六のような偉人でも、途中からどう考えても思考能力が停止したとしか思えない状態になることがあるのです。

「英語など出来なくても、通訳を雇えば問題ない」というビジネス成功者もいます。
しかしそれでは「英語を自分で話す楽しみ」や、もっと言えば「英語を勉強する喜び」が味わえないのです。
英語を社交ダンスと言い換えたらよく分かると思うのです。
社交ダンスは自分で練習しないと上手くならないし、自分で踊らず代理の人に踊ってもらっても、ちっとも面白くないではありませんか。