バブル経済のたどる道

1989年の末に不動産のバブルが崩壊しているのに、他産業はまだまだイケイケドンドンでした。
バブル崩壊が全産業に浸透するまでタイムラグがあるのを学んだのも、この時です。
バブル崩壊が分かっているのに、買い込んだ不動産在庫を処分できた人と出来なかった人がいます。
その差はひと言で言えば「見切り」が出来たかどうか。
「見切り千両」とはよく言ったもので、人生において最も大切なことの一つに違いありません。

日本における「失われた10年」の間に日本経済はガタガタになりましたが、次への飛躍のための試金石だという気がしないわけでもないのです。
あのバブルのまま日本経済が大飛躍していけば、当然アメリカとどこかでぶつかっていたと思うのです。
人の嫉妬も恐ろしいのですが、国家の嫉妬はもっと恐ろしい。

カルタゴに嫉妬し、遂にはカルタゴを影も形もなくするほどに消し去ったローマや、オランダの経済的繁栄に嫉妬し、戦争をけしかけたイギリスのように、アメリカもまた日本を打ちのめそうと動いたはずです。
経済や政治的な制裁にとどまらず、ひょっとしたら軍事的な圧力をかけてきた可能性すらあります。
「日本のバブル崩壊は、アメリカの嫉妬を回避するためだった」という人もいるのですが、「当たらずといえども遠からず」ではないでしょうか。
肝心の日本人自身に「世界ナンバーワン」になる心の準備が出来ていなかった側面もあるように思います。

失われた10年」を体験したおかげで、あやうく大恐慌になりかけた世界経済の、今後の動きがよく分かります。
要はバブル崩壊後の日本経済が辿った道を、各国も歩まざるを得ないからです。
不動産バブルが弾け、それが実体経済にまで影響を及ぼし、なかなか回復の糸口を見いだせない状態が続きます。
しかしながら体力を蓄えてきたところは、企業でも国でも強いのです。

「山高ければ谷低し」であり、バブル経済謳歌してきたところは、あとの反動がきついのです。
その点日本経済は、欧米の好況を横目で見ながらひたすら不良債権の処理に追われてきました。
「山」はちっとも高くなかったわけです。
従って「谷」も低くはないのです。
悲観論が渦巻いている中、気がついたら日本経済が突出していたという状況が必ず来るような気がしています。